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その後、中小の豪族たちは、自分の支配地を広げようとお互いにいろいろな約束を結んだり、あるいは争ったりしていました。
その中で、三春田村氏はだんだん大きな力をもつようになりました。
1504年、田村義顕は、田村地方を支配するために本きょ地を三春城に移したと伝えられています。
三春は田村地方で重要な交通の要所になっていたため、ここに城を移したと考えられます。
三春は、義顕、隆顕、清顕と3代にわたって、約80年間、城下町として栄えました。清顕の娘「愛姫」は、戦国大名として名高い伊達政宗のもとにとつぎました。
三春田村氏は、お寺や神社を三春に移し、三春を支配することを人々に認めさせるとともに、信こうによって人の心をひきつけようとしました。
今の郡山の守山にある山中から、田村地方の守り神であった「大元帥明王社」を移して三春におまつりしました。
また、田村氏のぼだい寺として、今の郡山市富久山町の福原から福聚寺を移しました。
神社やお寺を移すと、守山や福原から移り住む人々がふえ人ロも多くなったことが想像されます。
数多くの戦いに勝って、領地をたくさん増やすこともできましたが、清顕がなくなると、田村氏の三春支配も終わりになりました。
盛顕……(一代)義顕……(二代)隆顕……(三代)清顕……伊達政宗の勢力に入る
1561年死去
1574年死去1532年ごろから政治活動した
1581年死去1570年ごろから政治活動した
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