三春の歴史-037/52page

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2.新しい時代

明治になって三春藩はなくなり、三春県といわれるようになりましたが、まもなく磐前県に統合され、明治9年(1876年)に現在の福島県に入りました。
新しい時代になって、三春のようすが大きく変わりました。
藩の学校がなくなり、各地に小学校ができました。
三春小学校、鷹巣小学校(中郷・中妻小学校)、高柴小学校(御木沢小学校)、石森小学校熊耳分校(要田小学校)、富沢小学校(沢石小学校)などが、明治6年にできています。
郵便制度ができて、三春に郵便局がおかれるようになりました(明治5年)。
そのころは、田村郡でもただ1か所の郵便取扱所でした。
また、銀行もできました。第九十三国立銀行といいましたが、福島県ではじめてこの三春にたてられた銀行です(現在の大町四つ角)。
馬車鉄道が通るようになり、交通のようすも変わりました。

(1)自由民権運動と三春(明治時代)

自由民権運動とは、国民の自由と権利を広め、国民が国民のためになるような政治を行うことを要求する運動をいいます。
このころは、まだ国会が開かれておらず、地方の政治も政府がはけんした役人によって治められていました。
一部の人の考えで政治をすることに反対し、国民の意見を取り入れた政治にするために、国会を開き、憲法を作ることなど、民主主義を求める運動がさかんになりました。
三春は、東北地方でもいち早く自由民権運動に取り組み活発な運動をくりひろげていました。
このような中で、当時の政府と自由民権運動を進める人たちが衝突し、福島

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