3年 社会科がくしゅうしりょう おのまち- 061/070page
(7) 町の歴史年表(れきしねんぴょう)
明治元年・今の小野町は「陸奥国(むつのくに)」に属(ぞく)し、江戸時代(えどじだい)は幕領(ばくりょう)、笠間藩領(かさまはんりょう)、三春藩領(みはるはんりょう)などに分かれていた。 4・廃藩置県(はいはんちけん)によって、今の小野町は白河県(しらかわけん)、笠間県(かさまけん)、三春県(みはるけん)の3つにわかれた。
○白河県(しらかわけん)(飯豊(いいとよ)村・吉野辺(よしのべ)村・浮金(うきがね)村・小野山神(やまがみ)村・雁又田(かりまんだ)村)
○笠間県(かさまけん)(上小戸神(かみおとかみ)村・下小戸神(しもおとかみ)村・小野仁井町(にいまち)村・赤沼(あかぬま)村・川籠石(かわごいし)村・北田原井(きたたわらい)村・南田原井(みなみたわらい)村・上羽出庭(かみはでにわ)村・下羽出庭(しもはでにわ)村・小塩(こしお)村・和名田(わなだ)村)
○三春県(みはるけん)(湯沢(ゆざわ)村)
・11月2日、白河県(しらかわけん)は「二本松県(にほんまつけん)」になり、笠間県(かさまけん)・三春県(みはるけん)は「平県(たいらけん)」になった。
・11月14日、二本松県(にほんまつけん)は「福島県(ふくしまけん)」になった。
・11月29日、平県を「磐前県(いわさきけん)」と改(あらた)めた。 5・小塩(こしお)村と下羽出庭(しもはでにわ)村が合併(がっぺい)して「塩庭(しおにわ)村」になった。
・郵便局(ゆうびんきょく)ができた(県下(けんか)で7番目)。 6・今の小野町はぜんぶ「磐前県(いわさきけん)」に入った。
・浮金(うきがね)小学校、飯豊(いいとよ)小学校、新町(にいまち)小学校、田原井(たわらい)小学校などができた。 8・「小野新町(にいまち)村」と正式(せいしき)に決める。 9・磐前県(いわさきけん)、福島県(ふくしまけん)、若松県(わかまつけん)をあわせて「福島県(ふくしまけん)」とした。
・郡山警察署(こおりやまけいさつしょ)小野分署(ぶんしょ)ができた。 10・赤沼(あかぬま)村を小野赤沼と改(あらた)めた。 12・郡村制(ぐんそんせい)となり、三春(みはる)町に郡役所(ぐんやくしょ)がおかれた。 20・東北本線(とうほくほんせん)が仙台(せんだい)まで開通(かいつう)した(福島(ふくしま)−上野間約(うえのかんやく)9時間)。※明治21年 磐梯山噴火(ばんだいさんふんか) 22・町村制(ちょうそんせい)により、「飯豊(いいとよ)村」「小野新町(にいまち)村」「夏井(なつい)村」になった。
※明治27年 日清戦争(にっしんせんそう)はじまる。 28・小野新町産馬組合(さんばくみあい)ができた。 29・小野新町村は町制(ちょうせい)を施行(しこう)し「小野新町」になった。 33・小野新町せり市場(いちば)ができた。 明治35年・風水害(がい)で田村・石川・相馬(そうま)などで死者(ししゃ)102名、負傷者(ふしょうしゃ)468名、家屋(かおく)ぜんかい6,226棟(とう)。この年、凶作(きょうさく)で皆無(かいむ)2,350町歩(ちょうぶ)。 ※明治37年 日露戦争(にちろせんそう)はじまる。 44・田村郡(ぐん)たばこ耕作連合会(こうさくれんごうかい)ができた。 大正4年・小野新町駅(えき)ができた(三春(みはる)〜小野新町)。 6・磐越東線(ばんえつとうせん)が平まで全通(ぜんつう)。 ※大正7年 県下(けんか)で米騒動(こめそうどう)