小野町の文化財一覧 - 006/006page

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無形民俗文化財

小野大倉獅子舞
県指定重要無形民俗文化財
昭和56年3月31日

●伝承地…大字小野新町字大倉
 坂上田村麻呂はヱゾの勢が強かったので、塩釜大神に神護を祈願したところ、たちまちヱゾを平定することが出来たので、その神恩に感謝するため今の小野町大字小野新町字万景上の頂を斎場として、陸前国より塩釜大神を奉遷し、大神事を執行しました。
 時に延暦20年(801)8月20日と伝えられます。その後、元久元年(1204)、時の領主田村荘司刑部大輔仲能が家臣の先崎主人、郡司内膳の両人を使者として、陸前国塩釜神社に請願をたてた際、その御神饒並に御幣帛を角膳二つに盛られたまま拝受し、当社内陣に奉納したが、御膳は、先崎氏が自宅に持帰り、秘蔵してあった。その子孫に主殿頭と言う人があって、この御膳を勿体なく感じ、死蔵するに忍びないと考え、祭典の際、御膳二つを合わせ、是に衣服を着せ里神楽の獅子に装造し、悪魔払と五穀成就の舞を社前で奉納したのが、この獅子舞の始まりと伝えられています。

  小野大倉獅子舞
浮金小獅子舞
町指定重要無形民俗文化財
昭和43年10月4日 町告示 第2号

●伝承地…大字浮金保存会
 天明の大飢饉の後、村の繁栄と安全、悪魔逃散、悪疫の防止などを祈願して、菅布祢神社に獅子舞を奉納したのがその始まりと伝えられています。
 当時は、胸に太鼓をさげ、叩きながら踊っていましたが、踊り手が子どものため、重くて踊りにくいとして、現在のような省略形になったといわれています。他の地方に伝わる獅子舞に比して動きが激しく勇壮活発な舞が特徴です。正面右から、ひだり、太郎、雌獅子、次郎とならび舞いはじめますが、舞いは祈り上げ・
前ざし・そぞろき・かかり・へそかき・うた・かみ合い・岡崎の8種類があり、この順序で舞がすすめられます。特に太郎、次郎が雌獅子を奪い合う「かみ合い」は最も動作が激しく、舞の最高潮となっています。
 小獅子には、浮金地内の小学4年〜中学2年生くらいまでの男の子4人が選ばれ舞い子となります。太鼓は太夫(たゆう)と呼ばれ、その道のベテランが舞の指導もかねて伝承しています。近年保存会も整備され、後継者の育成、正確な舞、音曲の伝承に心がけています。

  浮金小獅子舞
上羽出庭じゃんがら念佛
町指定重要無形民俗文化財
昭和41年11月3日 町告示 第1号

●伝承地…大字上羽出庭
 この念佛は、磐城の国今のいわき市四倉町最勝院で発祥されたものです。これを創案したのは、浄土宗としては福島県より唯一人と言われている祐天大僧正によるもので、祐天上人は今の四倉町上仁井田の在家の出身でありますが故あって出家され、大本山増上寺において修業をつみ、郷里上仁井田に帰り最勝院に入山されたが、当時上仁井田を貫流致します仁井田川は毎年夏になりますと、濁流があふれて耕地を荒しておりましたので、農民は非常に困っておりました。
 これを見た祐天上人は何とかしなくてはならないと思われ壇信徒や村の人達に奨めて堤防を築くことにしました。現在のように機械力に頼ることが出来ない昔は、全部人の力によって行われた時代ですから、その労苦は大変なものでした。そこでこれらの仕事をするのに只働くだけでは早く疲れてしまうので手振り足振り面白く行った方が良いと考え、御佛の御慈悲を入れ南無阿弥陀佛の御名号を歌にして、これを手振りに合わせながら働くことを人々に奨めました。この時に行われた歌と踊りが基礎となって自安我楽念佛が始まりました。上羽出庭地区の松縁寺は、磐城専称寺を本山としており、代々の住職も専称寺より来ていました。こういう関係で当地区のじゃんがら念佛は、嘉永年間にいわき地方より伝わったものであるといわれています。

  上羽出庭じゃんがら念佛
新田内長獅子舞
県指定重要無形民族文化財
昭和56年3月31日

●伝承地…大字飯豊字大日堂
 八雲神社に伝わる獅子舞で、雌獅子1、太郎獅子5、次郎獅子5計11匹より構成される県内で最も数の多い獅子舞です。新田内、大日堂両地区20余戸で一子相伝の伝統を守り引きつがれて来ましたが、現在では不可能となっています。創始年代は不詳ですが、大倉獅子との相似点が多く、同系の獅子舞であることは確かです。
 祭礼が近づくと、毎年定められてある宿元で練習がはじめられ、9月15日の祭礼には、昼頃から八雲神社に奉納を行い、引続き地区内にある氏神様な社寺約20ケ所に「祈り」を上げ、午後6時頃、宿元に帰り夕食後、地区全員の打ち揃う中で笠抜きを行います。歌詞は、御神前、桟敷、庭固、祈利、鳥居、踏揃などに別れており、約40近くのうたがありそれぞれの舞及び場所等によって区別され用いられています。
 昭和41年9月から保存会も結成され、地元の有志、長老たちの熱意によって伝承されています。11匹と数も多いため、その保存、修理にも巨額の費用がかかり大変です。ちなみに現在使用しているものは、慶応年間(1865〜1868)に大修理を行った時のもので修理をしながら大切に使用して来ているものです。

  新田内長獅子舞

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