農業副読本編さん事業 社会化資料 滝根町の農業 - 005/024page

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 しかし、たび重(かさ)なる災害(さいがい)は時には人々を死にいたらしめるほどのきびしいものでした。しかし藩(はん)による新田(しんでん)開発などの努力が実り、滝根町は三春藩(はん)の内で一番豊かな所としてにぎわうようになりました。

 1889年(明治22年)に、菅谷村、神俣村、広瀬村がいっしょになり、現在の滝根町のもとになる滝根村が発足(ほっそく)し、1940年(昭和15年)に滝根町となり現在の滝根町が始まりました。その後、釜山(かまやま)の石灰石採石(せっかいせきさいせき)場あと地に鍾乳洞(しょうにゅうどう)が発見され、1973年(昭和48年)に「あぶくま洞」と名前がつけられ、多くの人が見学できるようになり、観光(かんこう)地としてもにぎわうようになりました。

※採集狩猟(さいしゅうしゅりょう)生活
 農業を知らない大昔の人々はドングリやクリ、クルミや山イモ、ユリなどの植物を採集したり、イノシシやシカ、魚などの動物をとらえて生活していた。

縄文時代の土器(大平) 縄文時代の土器(大平) 昔の炉のあと(大平)
昔の炉(ろ)のあと(大平)

(2) 町の位置と自然のようす

 滝根町は、阿武隈山系のほぼ中央にあり、大滝根山(1,193m)をはじめ、羽山(970m)、矢大臣山(965m)などの谷あいに、ひら


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