大越町町勢要覧 -008/026page

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元気な町おおごえができるまで

鬼五郎・幡五郎兄弟の伝説から千二百年あまり。大越町の歴史は、さまざまな彩りにつつまれています。

町のあゆみ


645年 道奥国(みちのくのくに)が置かれた。のち陸奥国(むつのくに)と呼ばれる。

713年 阿尺(あさか)が安積となる。(風土記より)
718年 陸奥国(むつのくに)を分けて石城国(いわきのくに)、石背国(いわせのくに)が置かれる。
728年 岩城、石背の二国が再び陸奥国に統合。

801年 坂上田村麻呂、蝦夷征伐(えぞせいばつ)のため奥州に下向。
802年 坂上田村麻呂、胆沢城を築き、鎮守府(ちんじゅふ)をここに移す。
  ・大越の鬼伝説はこの頃の時代を背景に語られている。

1334年 南北朝の動乱で田村庄司は南朝方に従い活躍。北畠氏らと各地を転戦する。

1341年 大越柏原の地に見渡(みわたし)神社鎮座。
1346年 大乗寺の前身「長安寺」を中津川宮内大輔(なかつがわくないだいすけ)が建立。
1392年 栗出永泉寺本尊、木造正観音成る。
1394年 牧野見渡(みわたし)神社鎮座。
1400年 歴史書に初めて「大越」の名前が登場。
「余目(あまるめ)旧記」に”斯波左京大夫満詮(しばさきょうのだいふみつあきら)、伊達円孝(だてのぶたか)らの乱により仙道大越にて討死”とある。
1404年 田村一族一揆契状の中に大越=宮内小輔季広(くないしょうすけすえひろ)、白石=伊豆守季春(いずのかみすえはる)の名見える。
1514年 栗出永泉寺開基。
1534年 円通山観照寺開基。
1566年 大越紀伊守顕光(おおごえきいのかみあきみつ)、鳴神城によって田村東南部地方に威を張る。
1568年 熊野新宮年貢帳に「まきの」「みょうか葉(明部淵)」「山口」「白石」などの地名が見られる。




1588年 伊達政宗、大越城を攻撃する。
1595年 大鉄山長源寺、下大越現在地に再興。のちに町の天然記念物第一号に指定された大イチョウは、この時植樹された。
1597年 大乗寺、明部淵に再興。

1615年 日光廟造立(にっこうびょうぞうりつ)に、三春領大越村の水晶を送る。
1665年 三春藩士栗原兵右衛門仕法により、領内の新田開発に着手。(栗原新田)
1716年 入三胴三匹獅子舞は、この頃から舞われていたと伝承されている。
1788年 幕府巡見使、田村地方を巡察。
1821年 田子屋、獅子頭と舞が稲荷神社に奉納され、三匹獅子舞がはじめられる。
1823年 上大越町大火。23戸・170棟焼失。
1833年 大凶作。村協議により諸事簡略筋実施。
1835年 上大越三庄屋役儀取り上げとなる。

1871年 廃藩置県により、三春県に属する。その後三春県が平県に属し、平県は磐前県と改称される。
1876年 三県合併により、福島県に所属する。郡制により田村郡に属し、郡役所を三春町に置く。
1889年 市制町村制施行により上大越村と下大越村が合併して大越村となる。
上大越町字町27番地に役場を開庁。
1902年 役場を上大越字町114番地に移転。(現役場真向い)
1905年 凶作の救済事業により下大越川向から堀越明宮(あかしのみや)に至る里道開通。

1915年 郡山〜小野新町間鉄道開通。
1917年 磐越東線全線開通。
1921年 役場を駅前通に移転。
1926年 大越娯楽場(現武道館)落成。

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