郷土学習資料集 わたしたちの町 おおごえ - 058/065page
9.郷土をひらいた人
葉たばこ作りの研究と農みんへのしどうに一生をささげ、福島県を葉たばこ生さん地に育てあげた話
郷土をひらいた人 宗 像 利 吉(むなかたりきち)
「たばこづくりの神様」として、今でも多くの人たちからそんけいされている宗像利吉は、明治7年に、上大越の農家の長男として生まれました。利吉は、小さいころからよく家の手伝いをしていました。
14才で小学校をそつ業すると、父について農業の仕事を見習うようになり、しょう来は、農業で身をたてようと考えるようになりました。
17才になった利吉は、一家の中心としていっしょうけんめいにはたらきました。葉たばこを作るようになったのもこの年からでした。田村地方は平地が少なく、米や麦などはあまり作れなかったので山のふもとをたがやして、葉たばこを作っている農家が多かったのです。利吉の父も、少しではあったが葉たばこ作りをしていました。しかし、天候にめぐまれず、やせた土地ではよい葉たばこができなかったので、利吉はどうにかして、しつのよい葉たばこを作りたいと考えるようになりました。
利吉は、父の畑とはべつに、自分の畑をもらいました。そして、家の仕事のひまをみて、自分の葉たばこの手入れに力を入れました。そのころ、葉たばこにはかおりをつける必要があるということを聞くと、そのための研究をしました。かおりをつけるには、ひりょうの工夫がだいじであると考えた利吉は、いろいろなせい分のちがうひりょうを作ってためしました。何回も何回もしっぱいをしましたが、よもぎとしょうぶをこまかにきざみ、水をくわえてはっこうさせ、それに草木灰を入れたものが、ひりょうとして一番ききめがあることを発見しました。そこで、さっそく畑でためしてみると大せいこうでした。利吉は、このほかにもなえの育て方やかんそうの仕方などについても研究をつづけ、とうとうりっぱな葉たばこを作り上げました。これがひょうばんになって村人たちは、利吉を「たばこづくりの名人」とほめたたえました。
そのころ、葉たばこの仲買いと輸出業をしていた船引町の助川良助さんという人を知りました。良助さんは、仕事のことから各地方の葉たばこのしゅるいや、かおりのよしあし、味のうまさなどについて実にくわしく知っていました。
利吉は、雨が降って農作業のできない日には、大越から8キロメートルもはなれた船引での山道を歩いて、良助さんの家をたずね、葉たばこの作り方や農業のことなどについて指導をうけました。