社会科副読本 わたしたちのまち常葉 - 043/073page
B 大火さいのあと
火さいのあと町のようすは,どのようにかわっていったのでしょうか。 C 火災の様子(昭和31年4月17日午後7時頃(ころ)火災発生(はっせい))
〜郵便局(ゆうびんきょく)がいち早くやけたため,外とのれんらくは全くできなかった。強風にあおられてメラメラともえ上がったほのおは,商店(しょうてん)や旅館(りょかん)などが立ちならぶ目ぬき通りの中町を一なめにして,またたくまに内町,上町をやきつくした。〜郡内(ぐんない)はもちろん郡山方面などからかけつけた消防団(しょうぼうだん)1500余名も手のほどこしようがないほど火のいきおいがつよかった。〜町はあかいほのおをくぐってにげまどう町民のむれでいっぱいとなり,町民はくすぶるもえ残った火をぼんやりとながめ,言葉も出ないありさまであった。 (当時の福島民報(みんぽう))
D 火災後のじゅうたくのけんちく
年 住宅の種類 昭31年・公営住宅、32戸
・国営仮設住宅、72戸
・県営住宅、3戸 昭32年・県営住宅、9戸 昭39年・公営住宅、17戸 E 火災後の道路(どうろ)のかいりょう
道 路 は ば 延 長郡山・標葉線
上野川・常葉線
常葉・柳渡戸線
中町・本坊線
中町・田和上線13m
8m
8m
8m
6m 675m
126m
45m
615m
56m
【常葉町史による】