3・4年の社会科 わたしたちのしらかわ - 107/114page

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白河市の年表

年号(西暦)
ことがら
300年ごろ
弥生時代のおわりごろの天王山遺跡(久田野)から土器が出土。
大化2年(646年)
陸奥(むつ)の国、白河郡がおかれる。
神亀5年(799年)
白河軍団がおかれる。このころ借宿にお寺がたてられた。(借宿廃寺)
廷暦18年(799年)
白河・菊多に関守60人がおかれる。
大治元年(1126年)
(藤原清衡が白河の関から外が浜まで、1丁仏をたてたと伝えられる。)
文治5年(1189年)
源頼朝が白河の関を通る。
康元元年(1256年)
結城祐広がからめ城(白川城)に住む。
興国元年(1340年)
結城親朝が小峰城をつくる。
寛正元年(1460年)
(飯尾宗祇が白河の関で連歌を読んだ−宗祇もどし。)
天正18年(1590年)
豊臣秀吉によって結城氏がほろび、蒲生氏郷の領地になる。
寛永4年(1627年)
丹波長重が白河藩10万石の領主となる。
9年(1632年)
長重、小峰城をつくりなおし、今の石垣をつくる。
20年(1643年)
松平忠次が白河藩14万石の領主となる。
憲安2年(1649年)
本田忠義が白河藩12万石の領主となる。
天和元年(1681年)
松平忠弘が白河藩15万石の領主となる。
天録2年(1689年)
松尾芭蕉が白河の関をたずねる。
5年(1692年)
松平直矩が白河藩15万石の領主となる。
寛保2年(1742年)
松平定賢が白河藩11万石の領主となる。
天明3年(1783年)
松平定信が白河藩の殿様になる。大ききん。
5年(1787年)
定信老中になる。(1793年まで。)
享和元年(1801年)
南湖ができる。
文政6年(1823年)
阿部正権が白河藩11万2千石の領主となる。
元治元年(1864年)
阿部正外老中になる。(1865年まで。)
慶応2年(1866年)
白河藩がなくなり幕府領となる。
4年(1868年)
戊辰戦争、白河口の戦い。小峰城がやける。
明治2年(1869年)
白河県の官衛白河城跡にできる。(9郡23万8千石)
4年(1871年)
二本松県になり、その後福島県になる。
5年(1872年)
郵便局ができる。このころ人力車はしる。
7年(1874年)
お寺をかりて中町、桜町、新町に小学校ができる。電信局(電報)できる。
9年(1876年)
白河町ができる。(戸長制)1,566戸8,651人。
12年(1879年)
道場小路に郡役所ができる。
16年(1883年)
郡役所たてなおし。(火災のため。)
17年(1884年)
白河町役場ができる。(中町)郵便馬白河〜福島間走る。(明治20年まで。)
18年(1885年)
東京から白河まで鉄道がつながる。
19年(1886年)
白河小学校ができる白棚鉄道止まる。
20年(1889年)
鉄道郡山までのびる白河駅が十軒店にできる。
明治22年(1891年)
町村制のしくみができて、白河町となる。1,902戸10,916人
30年(1899年)
白河町に初めて銀行ができる。
43年(1910年)
電話が開通する60戸。
44年(1911年)
白河町に初めて電灯がつく。
45年(1912年)
白河小学校が白一小、白二小、白三小に分かれる。
大正3年(1914年)
芝居・映画館がたつ。
5年(1916年)
白河・棚倉問に鉄道が通る。(白棚線)このころタクシーはしる。
6年(1917年)
白坂が駅になる。
8年(1919年)
久田野が駅になる。
10年(1921年)
白河駅が今のところにひっこす。

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