わたしたちのむら西郷(改訂版)-025/055page

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3)お父さん・お母さんが,子どものころ

昭和30年ごろ,定期バスが通るようになり,村の人々の生活が,たいへん楽になってきました。
お父さん・お母さんが,子どものころ
人口がどんどんふえて、いるわ。
昭和29年白河地方でもテレビが見られるようになったんだ。
でも,20万円から30万円もして,とても高くて買えなかったんだって。
・東北新幹線が通った。
・那須甲子有料道路ができた。
・東北縦貫自動車道ができた。
・国道4号線がほそう道路になった。
・白河〜上野間鉄道がふく線になった。
・白河〜上野間鉄道が電化された。
・東北本線いわき西郷駅ができた。
・小田倉〜増見線が県道になった。
・白河〜羽鳥道が県道になった。
・はじめて自家用車が入った。
・甲子温泉行きの乗合自動車が走った。
・自転車がふつうの乗り物になった。
・このころ荷馬革が利用された。
・人力車ができた。
・東北本線が開通、白河駅ができた。
〔かおりさんのお父さんの話〕
わが家で自家用車を買ったのは,お父さんが小学生のときさ。それまで,白河には,バスで買い物などに行っていたんだよ。村の道路がど
んどんほそうされて,車をもつ家がほとんどになってきたな。(昭和45年ごろ)

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