西郷村社会科副読本 DATA BOOK-047/147page

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 第4代村長鈴木市太郎は若き頃、自家の破産を救うためにアメリカに移民した経験を持つ立志伝中の人物である。真船村長と鈴木村長の二代にわたり小作争議は解決した。6年満州事変が勃発した。9年、10年には連年凶作が続き西郷村政は完全に麻痺、自主の道を失い特別更正市町村の指定を受け、ようやく独歩の道を回復するが12年には支那事変が起こり、16年には大平洋戦争に突入する。ほとんどの国民が敗戦に向い不安と窮乏の日々を送った。国政も混乱もさることながら西郷村政もまた嵐の時代を迎える。
 第5代村長仁平倉次郎は昭和14年村長に就任。18年に2期目の認可を受けるが病没、大倉正治が19年1月第6代村長に就任するが4月応召を受け僅か3ケ月で第7代村長鈴木市太郎に代わる。しかし、9月に病魔に倒れ、11月鈴木茂左衛門が8代目村長に就任した。僅か1年の間に4人の村長が交替した。
 昭和20年8月15日、長い戦争が終わり平和が戻り、西郷村は有史以来の開墾ラッシュを迎える。この数年に約500町歩の軍用地や未墾地が開発された。
 22年4月に第1回の公選による選挙が行われ第9代村長に鈴木嘉雄が就任した。鈴木は戦後の民主主義に基く地方自治体制を確立すると共に農業の近代化と農村の生活改善等に力を尽した。
 第10代村長室井久治は日本の高度成長が始まる昭和30年5月に村長に就任、磐城西郷駅や白河布引山演習場の設置、新甲子温泉郷の開発等に力を尽すが、35年全国的ニュースとなった熊倉小学校統合問題が発生し、統合校舎建設予定地をめぐって二転三転し反対運動は過熱、児童を巻き込み登校拒否に発展するなどの事態を招き、村政は荒れに荒れた。
 第11代村長佐藤歸一はこうした混乱の時代が終焉する38年5月に就任する。時恰も高度成長の上げ潮の時期である。役場庁舎の折口原への移転をはじめ諸公共施設の建設、東北縦貫自動車道や新白河駅・大陽の国の諸施設・国立那須甲子少年自然の家の誘致等々、西郷村を雄村たらしめるために辣腕を振うこととなる。佐藤の4期16年が終わる頃には西郷村は正真正銘の大村に成長していた。佐藤はこの後県会議員に華々しく転身するが、このことにより役場三役は任期を残し辞任、ここに全国的にも希有な三役不在という不測の事態が発生、村政は一時混乱する。
 第12代村長鈴木義一は54年4月厳しい選挙戦を勝ち抜き就任するが、任期半ばにして病魔に犯され村政から去り、57年3月には第13代村長鈴木平作が、平成2年3月には現村長菊地國雄が就任する。
 かつての寒村西郷村は幾多の苦難の時代を乗り越え一世紀の独立を守り続け、福島県内市町村中最も豊かで活気溢れる行政体の一つに数えられている。これみな14代の村長を先頭に多くの村人の弛まぬ努力の結果である。

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