わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 074/147page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

明治のころ

 人の行ききが多くなり、主に、矢吹、須賀川、白河、石川への道路がととのえられてきました。このころは、人は歩くことが中心でしたが、荷(に)物などは、馬車や荷(に)車にのせて運びました。
 かごにかわって、人力車ができました。白河には、客をのせるために人力車が、駅前にいました。人力車は、昭和のはじめころまで見られました。

人力車
人力車

荷車
荷車

馬車
馬車


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は中島村教育委員会に帰属します。
中島村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。