わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 075/147page

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大正・昭和のはじめごろ

 大正九年(一九二〇)ごろ、村ではじめて自転車で走るのが見られました。数えるぐらいの人しか乗っていなかったので、たいへんめずらしがられました。

 東北本線ができ、矢吹、泉崎、白河に汽車がとおったのは、明治二十年(一八八七)です。しかし中島村には、鉄道がしかれませんでした。
 昭和二年(一九二七)に、乗合(のりあい)自動車が、白河との間を、一日四往復(おうふく)走りました。ていりゅう所はなく、どこででもお客さんを乗せました。

 今では乗合(のりあい)自動車が、福島交通のバスとなり、中島村ただ一つの交通機関(きかん)となっています。

今の交通のようす

 中島村では鉄道がないため、道路がたいせつな役めをしています。


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