わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 129/147page
長い間、苦しい開こん生活を続けました。
しかし、滑津原一帯は、昔から十分な水路がなく、水不足で悩(なや)んでいました。その上、土地が火山灰(ばい)であるため、水は地下に入ってしまうことが多かったのです。そのため、作物が実らないことが多くありました。苦労した開こんは、いずれも失敗してしまいました。入植した移住者の中には、生活が苦しいため、村をはなれる人もいました。入江(いりえ)農場の開たく
会津藩(はん)の士族である入江(いりえ)新六郎(ろう)は、石川郡小高村(現玉川村)の戸長をしていましたが、明治十五年に滑津村に入植しました。
明治十八年から、滑津原に四十ヘクタールの土地を、国から借り、開こんをし、木の苗(なえ)を育てることを中心にした大きな農場をつくりました。
ひのき、杉(すぎ)、から松(まつ)などで、防風林(ぼうふうりん)をつくり、場内には、樹木(じゅもく)標本園、