わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 131/147page
このような仕事は、一人でできるものではありません。先代の円谷弥(や)三郎(ろう)・小針半次郎(ろう)など、移住(いじゅう)入植者と家族みんなの、はたらきと近りんの人々の協力がありました。
こうして、入江(いりえ)農場を中心とした滑津原一帯の開こん地の大部分は、育苗(いくびょう)、見本園などに使われ、種苗(しゅびょう)生産が盛(さかん)んになりました。滑津原一帯は、今でも、有名な種苗地(びょうち)として発展(てん)しています。
三ケ村連合耕地(れんごうこうち)整理組合
もと武士による開こんを始めたころは、水がたりなく作物が実らないので、困(こま)っていました。
明治十六年、水野谷宗(そう)三郎(ろう)は、滑津原に水を引くために、関平(せきひら)村より瀬知房(せちぼう)を通す、用水路を作る計画をたてました。しかし、県からの許(ゆる)しが出ないので、実施されませんでした。