わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 132/147page

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 そのころ、日本の国は、食料不足がだんだん激(はげ)しくなり、国をあげて、増(ぞう)産しなければなりませんでした。滑津原でも、田をつくるためには、どうしても水が必要になりました。大正二年、入江(いりえ)新六郎(ろう)は、滑津村、吉子川村、関平(せきひら)村の三か村の協力を得(え)て、屠胴原(とどうはら)と二ツ山に貯水池をつくり、滑津原背戸原(せとはら)一帯に、水がいきわたるような計画をたてました。この計画を実施(し)するため、入江(いりえ)新六郎を組合長とし、三村から多くの人々が組合員になり、大正三年(一九一三年)七月十三日、三ケ村連合耕地(れんごうこうち)整理組合が正式に誕生(たんじょう)しました。

 組合では、三年数か月かけて、用水路を

(村史資(しし)料より)
※三ケ村連合耕地整理(れんごうこうちせいり)組合(大正3年7月13日)
○組 合 長
副組合長
   〃
   〃
評(ひょう)議員
組 合 員
面  積
費用予算額(がく) 
入 江 新六邸(ろう)
水野谷 徳(とく)次郎(滑津村長)
高 塚(つか) 四四郎(ろう)(吉子川村長)
田 崎 智(ち)良(関平村長)
  9名(各村の有志)
386名
646町4反(たん)7畝(せ)
8万7千2百3円5拾4銭(せん)7厘(りん)

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