わたしたちの村 なかじま 小学校社会科学習用郷土読本 - 134/147page
完成させました。待ちにまった水が滑津原一帯に流れるようになりました。
しかし、水量測定(そくてい)のまちがいから、必要な水の1/5しか流れなかったため、滑津原全部には、水が行きわたりませんでした。せっかく開こんした土地も、元の原野になってしまいました。これを見た農民は、どのくらいおどろき、がっかりしたかわかりません。
この失敗をおぎなうため、設計(せっけい)の変更(へんこう)や発電所の計画などを考えましたが、どれもうまくいきませんでした。そのため、組合の借金(しゃっきん)は、昭和二年には、三十万円にもなっていたといわれます。
県では、人の力によって、これを解(かい)決しようとしました。国の応援(おうえん)を受け、県内だけでなく、他県からも、移住(いじゅう)者をぼしゅうしました。それによって、滑津村、吉子川村、関平(せきひら)村の三ケ村には、八十戸近い入植がありました。こうして、みんなで力を合わせ、貯水池づくり、用水路づくり、