矢吹町町制施行百周年記念要覧 -008/046page
明治24年 岩瀬御猟場開設
この頃から「矢吹が原」と呼ばれるように矢吹町はその昔、「行方野(ゆきかたの)」 と呼ばれる広大な原野を 中心とする土地でした。藩政時 代には奥州街道の宿場町として 栄えましたが、その水利の悪さ からなかなか開発が進まず、豊 かな自然が残されたままになって いました。
三千ヘクタールにもおよぶ自然 豊かな原野は、明治時代になると、 宮内庁管轄の御料地となり、明 治二十四年には棲息する雉子や 野兎を対象とした宮内省直営の 御猟場 「岩瀬御猟場」 となり ました。
国内では明治初年に東京の植 物御苑(現新宿御苑)に鴨猟の御 猟場が設けられたのが最初で、 その後、明治十五年に日光御料 地に鹿猟の日光御猟場、明治二 十二年に岩瀬御料地に雉子猟の ための岩瀬御猟場が設けられま した。その後も赤城山や天城な どの各御料地内に御猟場が設け られ、大正十四年に廃止される まで使用されました。
当時の日本では、御猟場は 皇室の狩猟場であり、一般 市民の狩猫仰は禁止されていました。 日本の御猟場は、欧州諸国の王 室が所有する狩場にならって、特 に外国高官との交歓の場として 利用されていたため、皇族をはじめ、 政府高官、外国政府の要人など、 国内外の名士が多く岩瀬御猟場
大正14年 宮内省御猟場が廃止された後に設置された矢吹国営猟区事務所当時の岩瀬御猟場には、常時3手羽の雑草が棲息し、 当時の御猟場看守たちは毎日丹念に見廻りをし、 雉子の棲息状況の観察と密猟の取締りにあたりました。