矢吹町町制施行百周年記念要覧 -009/046page

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明治24年 岩瀬御猟場開設
この頃から「矢吹が原」と呼ばれるように

Yabukigahara Stories

矢吹が原の軌跡

を訪れ、猟を楽しんだといいます。 なかでも東郷平八郎元帥は、御 猟場の常連の一人だったといわれて います。この頃から行方野は、「矢 吹が原」 と呼ばれるようになり ました。

 当時の岩瀬御猟場には、常時 三千羽の雉子が棲息していたとい われ、御猟場内は看守の部下達 が毎日丹念に「見廻り」をし、 雉子の棲息状況の観察と密猟取 締りにあたっていました。しかし、 この岩瀬御料地と御猟場の存在が、 矢吹が原の開拓に大きな影響を 与え、昭和に入って岩瀬御料地 と県有地との交換が実現するまで、 潅漑用水を矢吹が原に通すこと ができませんでした。

豊猟
豊猟の後。いかに獲物が多く棲息していたかがうかがえる

福島の玄関口に広がる矢吹が原は自然に恵まれ、野鳥や野生動物の宝庫でした。 明治18年には宮内庁管轄の御料地となりJ明治24年に「岩瀬御猟場」が誕生。 東郷平八郎、乃木希典、島村達雄など国内外の名士が多く訪れた岩瀬御猟場は、 矢吹町の経済や文化に大きな影響を与えた歴史的にも貴重な場所です。

伏見宮が出猟する時の様子
皇族をはじめとして政府高官、 外国政府要人など国内外の名士が多数猟を楽しんだ。 写真は伏見宮が出猟する時の様子である(大正13年)


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