わたしたちの町 やぶき-090/113page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

9.きょう土を開く
1 土地を開いた人びと
矢吹が原
むかし、矢吹が原は、行方野とよばれ、あれた林と草原のつづく作物のとれない原野でした。

行方脇(矢吹が原)のおもかげ
行方脇(矢吹が原)のおもかげ
作物のとれない原野だったこともあって、江戸時代まで会津藩や白河藩・幕府領や越後高田領と支配のうつりかわりのあったところです。

士族開こん
明治のころになって、人びとはこの広い矢吹が原の開こんに目をむけ、ため池を作ったり、原野を切り開いて作物をつくる努力をしました。武士の世が終わり、仕事のなくなった武士をすくうために行われたのが士族開こんです。

士族開こんの民家
士族開こんの民家(明治12年ごろ)

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は矢吹町教育委員会に帰属します。
矢吹町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。