わたしたちの町 やぶき-095/113page

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矢吹町が羽鳥湖から水を引くようになるまで
おもなできごと 県内のおもなこと
明治のはじめころ 星吉右衛門は近くの村人と力を合わ せ万歳堰(まんざいせき)を作った。  
1879年 (明治12年) 士族開墾(しぞくかいこん)はじま る。 八まん原・十軒(けん)原で開こん を始めた。(15家族) 安積疎水工事はじまる。
1880年 (明治13年) 水が足りなくて米を作る仕事はでき なかった。 ・畑作を中心に作ったが、土地が悪く 作物は実らない。  
1885年 (明治18年) ・星吉右衛門は、羽鳥から矢吹が原に 水を引くことを考えた。 たくさんのお金がかかる工事なので、 県でとりあげてくれなかった。  
1891年 (明治24年) ・大和久に堰を作った。 東北本線全線が開通する
1897年 (明治30年) ・前の計画を変こうして猪苗代から水 を引くことを計画する。 目的は達せられない。 1984年(明治27年) 福島に電とうがともる。
1908年 (明治41年) 星吉右衛門死す。(78歳) 1914年(大正2年) 猪苗代発電所完成。
1915年 (大正4年) 地元の人たちが相談して開田の計画 を立て県に願いでる。  
1916年 (大正5年) 矢吹が原を開たくするために、ちょ うさが行われるがとりあげてもらえ ない。  
1919年 (大正6年) さいど願いでるが実げんしなかった。  
1924年 (大正13年) ・農林省土地利用計画が実しされる。  
1927年 (昭和2年) 大きぼ開こん計画はじまる。  
1930年 (昭和5年) ・計画完成するが、水源地地質の関係 で計画へんこうする。 1936年(昭和11年) 弥栄など開たくはじまる。
1941年 (昭和16年) 羽鳥ダムエ事はじまる。 1945年矢吹飛行場など空しゅう をうける。 15年間
1956年 (昭和31年) 羽鳥ダム完成する と中太平洋戦争のため工事 が中止されたこともあった。

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