社会科学習資料 第3・4学年 わたしたちの村 ひがし - 065/106page
ています。
B 就学(しゅうがく)りつのうつりかわり
学校にかよう年令(ねんれい)の子ども全体(ぜんたい)のうち、どのくらいの割合(わりあい)の子どもが学校に行(い)ったかをあらわしたものをしゅうがくりつといいます。
明治6年(1873)にはしゅうがくりつは男子がやく46パーセント、女子はやく17パーセントほどでした。明治33年(1900)の小学校がぎむ制(せい)になったときには81.5パーセントのしゅうがくりつになっていました。今はほとんど100パーセントです。
(7) 村にある古いもの
○文化財(ぶんかざい)
東村教育委員会(きょういくいいんかい)では、村文化財保護調査委員会(むらぶんかざいほごちょうさいいんかい)がきめた村内(そんない)12ヶ所(かしょ)の文化財(ぶんかざい)のあるところに、由来(ゆらい)や造(つく)り、年代(ねんだい)をつけたあん内板(ないばん)をたてています。
@ 十一面(めん)かんのん像(ぞう)(かりしきざか)
かりしき坂(ざか)の左手、石だんを少しあがると小高(こだか)い山上にでます。すぐ右に新開(しんかい)山十一面かんぜ音(おん)ときざまれた碑(ひ)があります。正面(しょうめん)に本道(ほんどう)がありますが、本尊(ほんぞん)はいまかりしき坂公民(こうみん)かんに納(おさ)められています。
かんのん堂(どう)は、はじめ堂山(どうやま)(道山)にありましたが、のち光明寺(こうみょうじ)にうつされ、大正2年かりしき坂にうつり安(あん)ちされました。けいだいにはむかし道山の北、あぶくま川の南岸にあった板碑(ばんひ)があります。土地の人は「ふっとうば」と呼んでいます。また12基(き)のばとうかんぜ音(おん)の墓碑(ぼひ)があり、支那(しな)事変に出(で)た従軍馬(じゅうぐんば)もほうむられています。
A 熊野神社(くまのじんじゃ)の大杉(すぎ)(ふかにいだ)
ふかにいだ西口のバスていりゅう所(じょ)をおりて5分。県道の南に見える大杉がそれです。げんろく杉ともいっておよそ300年たっています。