時 代
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西れき
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お も な こ と が ら
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奈良(なら)から
安土(あづち)・桃山(ももやま)
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728
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○白河軍団(ぐんだん)がおかれた。 |
1051
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○前(ぜん)9年の役(えき)おこり、源義家(みなもとよしいえ)があべ氏(し)をやぶった。 |
1189
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○源頼朝(みなもとよりとも)、奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)をほろぼした。 |
1333
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○結城宗広(ゆうきむねひろ)の弟(おとうと)、祐義(すけよし)、片見(かたみ)ひこ三郎といい、形見館(かたみかん)をきずく。 |
江戸(えど)
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1741
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○このころ釜子地方は高田(たかだ)はんの支配(しはい)にあった。 |
1783
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○この年天明(てんめい)の大ききんがあった。 |
1798
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○浅川そう動があった。 |
1809
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○陣屋(じんや)を浅川から釜子にうつした。 |
1830
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○このころ天保(てんぽう)のききんがあリ、不作(ふさく)がつづいた。 |
明治・大正・昭和
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1868
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○ぼしん戦争で釜子じんやは焼打(やきう)ちにあい、落陣(らくじん)した。 |
1874
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○釜子小、小野田小が創立(そうりつ)された。 |
1887
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○白河に汽車(きしゃ)が走った。(東北本線) |
1916
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○白河とたなくら間を汽車が走った。(白棚(はくほう)鉄道) |
1918
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○白河と石川間にトテ馬車が走った。 |
1924
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○白河と竹貫(たかぬき)の間、乗合(のりあい)自動車が開通(かいつう)した。 |
1934
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○石川、浅川間に水郡(すいぐん)線が通った。 |
1941
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○釜子小、小野田小は国民学校に名がかわった。 |
1947
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○ふたたび小学校と名があらためられ、あらたに釜子中、小野田中ができた。 |
1955
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○釜子村、小野田村が合併(ごうへい)し東村が生まれた。小貫(おぬこ)、大田わ地区(ちく)は石川ぐん浅川町に編入(へんにゅう)された。 |
1961
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○釜子中、小野田中が統合(とうごう)してあらたに東中ができた。 |
1964
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○東村立幼稚園(ようちえん)ができた。 |
1968
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○母畑地区開拓(ぼばたちくかいたく)じぎょうが、国営総合(こくえいそうごう)パイロットじぎょうとしてはじめられた。 |