大信村村政要覧 -010/028page

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美しいむら 伝統 文化

時代を越えて刻まれる
たいしんの伝統文化

中山義秀記念文学館

 人々の心あたたかい暮らしを今に伝 える大信村の伝統文化。そこにはいつ の世も変わることのない豊かな心を垣 間見ることができます。古くは、縄文 時代中期の「町屋遺跡」から出土した 石器、土器などから悠久のロマンを感 じることができます。こうした村の歴 史とともに農具や民具、その暮らしぶ りを紹介してい る「ふるさと文化 伝承館」では、子 供たちを集めて 「しめ縄づくり教 室」などを行い、 古来の技を楽し く学んでいます。

 福島県の南に ある大信村は、17世紀初頭白河藩領と なるまで次々と領主が変わり、民が苦 しんでいた時代もありました。しかし、 「キュウリ天王祭り」や「ちょうちん祭 り」など暮らしに根付いた祭りや慣習 もたくさん誕生しました。

 現代はこうした祭りの継承事業に加 え、村に湧き出る「清水」を新たな財産 として守り、後世に伝えています。

村が生んだ偉人 中山義秀の生涯

中山義秀

 中山義秀は、明治33年(1900)、 大信村(旧岩瀬郡大屋村)の中山竹蔵 の三男として誕生しました。県立安積 中学(現・安積高校)から早稲田大学に 進学、のちの師友横光利一と知り合い ます。大学卒業後、三重県や千葉県で英 語の教鞭をとるかた わら小説を書き続け、 昭和13年『厚物咲』で 第七回芥川賞を受賞、 翌年発表の『碑』で文 壇での地位を高めて いきます。昭和39年 には『咲庵』で野間文 学賞受賞。さまざま な文芸活動の中で、ふるさと大信村の 美しさについて何度もふれています。

 晩年は、中央公論連載の「芭蕉庵挑 青」が未完のまま、昭和44年8月、69歳 の生涯を閉じました。明治、大正、昭和 と3つの時代を駆け抜け、厳しく自己 の作品と向かい合ったその姿は、「孤高 の文士」「最後の文士」と称され、文学 の求道精神を現代に伝えています。

中山義秀の原稿「故郷の土」

キラリと光る文豪の里づくりプラン
「中山義秀記念文学賞」

 「中山義秀記念文学賞」は、平成5年の記念館開設と同時に中山義秀顕彰会によって 始められました。この賞は、国内で過去一年間に発表された歴史文学が対象となるも ので、全国の自治体のうち村で本格的な文学賞を制定しているのは大信村だけという こともあり、記念文学館と併せて全国への村の情報発信の一つとなっています。


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