社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-046/105page
西暦 時代 おもなできごと 1783 江戸 天明 ・天明の大ききんがあった。 1796 寛政 白河藩の街道に松並木をうえた。 1833 天保 ・天保の大ききんがあった。 1868 明治 元年 ・戊辰戦争のため、家が焼かれ田畑があらされた。
・幕府がほろび、藩をやめて若松・福島・白河県がおかれた。1870 3 ・人々にみょう字がゆるされた。 1873 6 5つの村を合わせ、信夫学区に小学校ができた。 1874 7 ・隈戸村上小屋に民家をかり、小学校ができた。
・新城小と町屋小に分かれた。1876 9 ・隈戸小と下小屋小に分かれた。 1887 20 ・新城と町屋と増見の3校が一つになり、新城小ができた。
・隈戸と下小屋の2校が一つになり、下小屋小ができた。
・東北本線が開通した。1889 21 ・大里村下小屋と隈戸村が一つになって、大屋村ができた。 1890 23 ・信夫小飯土用分教室ができた。 1896 29 ・茨城街道ができ、町やを通った。 1901 34 ・大屋村役場が宮沢にうつった。 1907 40 ・大屋小は西宿の新しい校舎にりつった。
・大屋巡査駐在所が上小屋にできた。1910 43 ・信夫小に高等科がおかれた。 1911 44 ・外面に新しく校舎をたて、外面分教場ができた。 1915 大正 4 ・滑里川に季節分校をつくった。 1918 7 ・大屋小に高等科がおかれた。 1920 9 ・隈戸に電気会社ができ、信夫・大屋に電灯がついた。 1923 12 ・大屋村役場が新しくできた。 1927 昭和 元 白河町・牧の内聞、矢吹町・上小屋間に乗合自動車が通った。
・信夫と大屋に郵便取扱所ができた。1936 11 ・信夫に郵便局ができた。 1938 13 ・信夫郵便局が電報電話をとりあつかった。 1940 15 ・大屋に郵便局ができた。 1941 16 ・小学校は、国民学校にかわった。
・太平洋戦争がはじまった。1942 17 ・大屋郵便局で電報電話をとりあつかった。 1945 20 ・太平洋戦争が終わった。 1947 22 ・新しい学校のしくみがつくられ、小学校となった。また、信夫中・大屋中学校ができた。
・信夫小からわかれ、信夫二小ができた。1949 24 ・大里村とわかれ、大屋村ができた。 1950 25 ・大屋中の校舎ができた。 1951 26 ・大屋村は西白河郡に入った。
・信夫中の校舎ができた。1953 28 ・大屋小中と駐在に電話がひかれた。
・東北地方が冷害にあった。このころから耕運機がつかわれた。