社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-054/105page
こうして、明治時代になるまで、飯主用、上小屋には旅人をとめるやど屋や問屋などができて宿場としてにぎわいました。
2)道しるべ
白河から大信村に通ずる、矢谷地地内の旧道と国道249号の分かれ道の東側の草むらに、高さ約160センチメートルの石づくりの道しるべがあって「右北郷・左会津街道」ときざまれています。たてた年代は、わかりませんが、かなりの年月がすぎています。※北郷とは、外面・増見方面をさしています。
また、飯土用の道ばたに40センチメートルぐらいの道しるべがあって、「右・大屋村上小屋、左・西郷村羽太」ときざまれています。大正時代に村人がたてたものといわれています。
聖ヶ岩、ふるさとの森の中にも、道しるべがあり、50センチメートルぐらいの高さの自然石に東くまど村、西かし道、ときざまれています。
白河市大谷地内の道しるべ