社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-099/105page
4.郷土を開く
わたしたちの住んでいる大信村は、多くの人々によって開かれてきました。いつごろ、どのようにして開たくされ、また、どんな苦労があったのでしょうか。
(1)滑里川地区の開たく
寛政4年(1627年)、白河藩主だった丹羽長重は、徳川幕府の命令によって、お城の大修理をすすめることになりました。
この工事には、領内の村々から毎日、2,000人をこえる人夫が集められ、3年間もかかって完成したとつたえられています。
このころ、大信村下小屋地区の人たちは、お城の工事の人夫に出るかわりに、滑里川あれ地を切り開き、田畑を作るようにとの命令が、出されました。
それで、下小屋地区の一部の人たちは、やく10ヘクタール(10町歩)以上の田畑を開たくし、そこにうつり住むようになりました。
このようにして、滑里川地区ができたのです。(白河風土記より)
滑里川地区の田畑のようす