泉崎の文化財-007/27page

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関和久遺跡(せきわぐいせき)
所在地/泉崎村大字関和久
●関和久遺跡の変遷
1.白河郡衙(郡家)は古代白河郡(現行政区の白河市・西白河郡・東白川郡・石川郡)の中心官庁として律令制度の政治を行なったところで、その成立期は、7世紀末から8世紀初頭ごろである。
2.遺構群の規模・建物の数が最大となったのは9世紀前半である。関和久官衙遺跡の最盛期はこの時期と考えられる。
3.10世紀後半には、郡衙としての機能は完全に停止していたものと考えられる。
関和久官衙遺跡推定復元図
関和久官衙遺跡推定復元図(古代白河郡衙)
関和久官衙遺跡遺構配置図に基づいて、古代白河郡衙の建造物を推定して復元したものである。
●跡地の現況
 遺跡は埋め戻され、後世の開発者に静かに引き継がれようとしている。
遺跡は埋め戻され、後世の開発者に静かに引き継がれようとしている。
 関和久遺跡は、背後の木之内山(棚内か)の山間に抱かれ、前は阿武隈川に面した段丘上にあり、昭和47年(1972年)から10年間、福島県教育委員会によって調査をされました。
 その結果、長方形の区画が南側低地と北側段丘上にあり、南が古代白河郡の正倉院(官立の倉を正倉、その集合区画を正倉院という)で北が都庁院であることが判明しました。
関和久遺跡の正倉復原
関和久遺跡の正倉復原
(福島県立博物館蔵)


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