泉崎の文化財-008/27page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

郡衙(ぐんが)(役所)の仕事の大部分は、租稲(そとう)(租税としての米穀)を徴収して倉に収納し、出挙(すいこ)(国家が農民に対して春に強制的に貸付け、秋に5割の利子をつけて徴収するもの)によって歳入をはかることであったから、正倉は郡の中心の施設でありました。
 正倉院は巾3メートル、深さ2メートルの溝によって囲まれ、東西250メートルの長方形を呈し、34,000平方メートル中、約6,000平方メートルを発掘したにすぎないが、計24棟の建物跡が検出されました。
 礎石建物には掘り込み地業(基礎部分の上を入れ替えて固める)を伴うものと伴わないものがあり、掘立(ほったて)建物には側柱(がわばしら)と総柱(そうばしら)(側柱の内部にも柱がある)のものがありました。
 規模は地業を伴う礎石立物が10.8×8.1 メートル(4間×3間)のもの(校倉(あぜくら)か板倉(いたくら))から4.2×4.2メートル(2間×2間)までのもの(土倉か九木倉)がありました。
 掘立の総柱のものも同様でありました。掘立の側柱の建物は15.12×6.13メートル(5間×2間)の細長い建物(屋(おく))で、これまでのものと異なり床が張ってありません。
 建物の配置は厳密な設計のもとに、計画的に配置され、東西列と南北列に分かれて各棟の柱列を一線上にそろえて棟間距離を一定にしてあります。
 しかも規模・構造の異なる2棟または3棟を1組として配置されております。
 この1組は、おそらく郡内の1郷と対応するものであったものと思われます。
 倉の用途には、備荒(びこう)用に長期保存する不動穀(ふどうこく)を収納する不動倉(ふどうそう)、賑給(しごう)(貧窮者の救済)に用いる動用穀(どうようこく)を収納する動用倉(どうようそう)、それに出挙(すいこ)用の頴稲(えいとう)(穂首で苅った稲)を収納する屋(おく)があります。
●関和久官衙遺跡遺構配置図
関和久官衙遺跡遺構配置図 関和久官衙遺跡遺構配置図 関和久官衙遺跡遺構配置図
関和久遺跡の規模は、東西270m、南北約460mのほぼ長方形を呈し、幅約3mの大溝で区画されている。写真は□内の建物跡の遺構を示す。

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は泉崎村教育委員会に帰属します。
泉崎村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。