泉崎の文化財-011/27page

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上礼堂遺跡(かみれいどういせき)
所在地/西白河郡泉崎村太田川字上礼堂
 上礼堂遺跡は、泉崎駅より北西部に位置し、隣接して西側は白河市と界する。標高400m程の丘陵が発達し、丘陵内では標高310m代で多くの谷が入り組んでいる。この丘陵と北側を現在の国道4号線が東西に通過しています。
 遺跡の存在は昭和27年に確認されていましたが、村では中核工業団地造成工事と併行して、平成4年4月〜6月にかけて大規模な発掘調査を行ないました。
 発掘調査の結果確認された遺構は、堅穴式住居跡35軒、土■跡12個、溝跡5条で、このうち竪穴式住居跡19軒、土坑跡8個、溝跡3条について調査し、残りは中央より北側にあるため現状のままで保存してあります。竪穴式住居跡は一辺約4〜6mの方形平面の形です。土坑も8個調査されましたが、土坑は、「墓」については「土■」と書き、それ以外の穴については「土坑」と書いて区別しています。今回発掘された1個は墓と考えられますが、他の7個についてはそれ以外のものと思われます。特に7号土坑については、巾約1m、長さ約1.4m、深さ約50cmの長方形をした土坑で、内部からは土器を含む黒色のコールタール状有機質のかたまりが埋積されていました。
 遺物は主に竪穴式住居跡からのものが多いが、須恵器・土師器・灰釉陶器(かいゆうとうき)などの土器類が400点以上、鉄製品では小刀(しょうとう)・鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)・鋤先(すきさき)などがあり、その他勾玉(まがたま)・小玉(こだま)・古瓦片などが出土しました。特に土師器では墨書(ばくしょ)土器(土器の表面に墨で字を書いたもの)に、「大家(おおやす)」「工(だくみ)」などの文字があります。さらに古瓦などがある点は、一般集落とは異なった、「公(おおやけ)」の集落と推定できます。
 これらの住居跡は出土した土器から、6世紀(古墳時代中期)頃から7・8世紀頃までの奈良・平安時代までの集落と考えられます。特に灰釉陶器・古瓦の出土するところから一般集落とは異なった役所、または寺院などに関係した集落と推定できます。
復元作業中のようす
復元作業中のようす

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