泉崎の文化財-010/27page

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関和久上町遺跡(せきわぐかみちょういせき)
所在地/泉崎村大字関和久字上町
 関和久上町遺跡は泉崎村の南、白河市との境近くの阿武隈川北岸にあります。
 この遺跡の南西約500mには古代白河郡家跡である関和久遺跡、さらにその南西約1500mの阿武隈川南岸には付属寺院と考えられる借宿廃寺跡が位置しており、古代白河郡の中心がこの地域であったろうと推定されます。
 本遺跡は大正15年に岩越二郎氏により発見され、関和久遺跡発見のきっかけともなりました。遺跡の名称としては遺物の発見された地区ごとに関和神社下遺跡・中ノ寺高福寺跡・上町遺跡と呼ばれていたものを大規模な一つの遺跡である可能性が強いことから、昭和57年に第一次調査を開始する時点で、これらを一括し「関和久上町遺跡」と改名しました。
 高福寺跡地点には古代の官衙ブロックがあり、8世紀前半〜9世紀末の白河郡家の都庁院が約500m離れたこの地点にあった可能性も考えられ、国により10ヶ年の調査が実施されました。
 神亀5年設置の白河軍団跡、さらに白河郡家である関和久遺跡の「■」型を有する郡庁院はまだ発見されておりません。
関和久郡家出土瓦類
関和久郡家出土瓦類
上町遺跡遺構の一部
上町遺跡遺構の一部
関和久上町遺跡鳥瞰写真
関和久上町遺跡鳥瞰写真
関和久上町遺跡位置図
関和久上町遺跡位置図(S=1/25,000)
 関和久上町遺跡(せきわぐかみちょういせき)
所在地/泉崎村大字関和久字上町
 関和久上町遺跡は泉崎村の南、白河市との境近くの阿武隈川北岸にあります。
 この遺跡の南西約500mには古代白河郡家跡である関和久遺跡、さらにその南西約1500mの阿武隈川南岸には付属寺院と考えられる借宿廃寺跡が位置しており、古代白河郡の中心がこの地域であったろうと推定されます。
 本遺跡は大正15年に岩越二郎氏により発見され、関和久遺跡発見のきっかけともなりました。遺跡の名称としては遺物の発見された地区ごとに関和神社下遺跡・中ノ寺高福寺跡・上町遺跡と呼ばれていたものを大規模な一つの遺跡である可能性が強いことから、昭和57年に第一次調査を開始する時点で、これらを一括し「関和久上町遺跡」と改名しました。
 高福寺跡地点には古代の官衙ブロックがあり、8世紀前半〜9世紀末の白河郡家の都庁院が約500m離れたこの地点にあった可能性も考えられ、国により10ヶ年の調査が実施されました。
 神亀5年設置の白河軍団跡、さらに白河郡家である関和久遺跡の「■」型を有する郡庁院はまだ発見されておりません。
関和久郡家出土瓦類
関和久郡家出土瓦類
上町遺跡遺構の一部
上町遺跡遺構の一部
関和久上町遺跡鳥瞰写真
関和久上町遺跡鳥瞰写真
関和久上町遺跡位置図
関和久上町遺跡位置図(S=1/25,000)
 1 関和久上町遺跡
 2 関和久遺跡
 3 借宿廃寺跡
 4 泉崎横穴

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泉崎村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。