塙町の文化財 -034/105page

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概論

塙の仏像

はじめに

 塙町では、下植田薬師堂薬師如来坐像のように鎌倉時代にまで溯る、古い作例がないわけではない。しかしこの像は破損がひどく、像の根幹部にわずかに当初の姿をとどめるにすぎない。数こそ少ないが、保存状態のよい遺品があらわれてくるのは、南北朝時代からである。そして作例が豊富になるのは、江戸時代に入ってからである。この町の大半の仏像は、江戸時代につくられたもので、このような時代的分布は他の市町村と同様な傾向を示している。塙の仏像を概観するにあたり、時代を追って叙述を進めていくのが、もっともわかりやすいと思われる。そこで鎌倉、南北朝時代の遺品から順次みていくことにする。

(一)

 下植田薬師堂の薬師如来坐像は、現状の像高が八八・八センチメートルと、大きさも十分にある。さらに両体側をも含んで、頭体の大部分を一材で彫出し、前後に割(わ)り矧(は)ぎ、彫眼(ちょうがん)とする技法も、豪快で古様な側 面をもつ。充実した肉身の造形から、鎌倉時代の造立と考えられるが、鎌倉時代も早い頃に位置するのではなかろうか。像の根幹部のみが当初のもので、さらに頭頂部が失われるなど、保存は非常に悪い。しかし鎌倉時代の作例は他になく、この像のみが唯一、この町の仏像の歴史の古さを物語っている。

 南北朝時代、特に中通り地方では、仏師乗円の活動に注目すべきものがある。乗円の出身については明確ではないが、鎌倉の仏師かとも考えられる。中通り地方には福島陽泉寺、二本松善性寺、古殿西光寺に二体の、計四体の乗円作の仏像が残されている。あと会津に一体、それに同じく乗円の師とも思われる道円の作品が会津にもう一体伝えられている。福島では乗円作の遺品が、合計で五体あるが、そのうちの四例が中通り地方に集中しており、その活動の主要な地域が中通り地方であったことが知られるのである。中通りにおける乗円の造像は、陽泉寺釈迦如来坐像に始まる。像内に書かれている銘文によると、この像は延文二年(一三五七)に円勝とともに造立を始めたことがわかる。そして最後の例が、古殿西光寺の地蔵菩薩坐像である。この像は、応安七年(一三七四)につくられている。中通りにおける乗円の活動は、延文二年から応安七年まで十八年間に及んでいる。

薬師如来坐像(下植田薬師堂)
薬師如来坐像(下植田薬師堂)


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