塙町の文化財 -035/105page

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 中通り地方の南北朝時代は、仏師乗円に代表されるように中央仏師の活躍した時代である。このような時代的特色は、塙町のこの時代の遺品にもみられるのである。賢瑞院の地蔵菩薩半跏像は、左足を垂下し、右膝を立てて頬杖をついているようなお姿にあらわされている。このようなお姿の像は、当時、鎌倉地方を中心に中国の仏教美術の影響を受けて盛んにつくられていた。それが塙町に及んでいるのである。ここに鎌倉と当地との、直接的交流がうかがえるのである。乗円のような仏師が当地に下向して、この像をつくったものかもしれない。あるいは鎌倉でつくられ、この地にもたらされたものかもしれない。しかしこの時代の中通り地方の造像界を一瞥するならば、鎌倉などの中央の仏師がこの地に下向し、 この像をつくったことは十分に考えられるであろう。この像の中心部の技法構造をみると、頭体幹部通して前後に二材を矧ぎ、三道下で頭部を割り矧いでいる。この時代の、この程度の大きさの像ではよくみられる技法構造である。

 常世観音堂の如意輪観音坐像は、一つの顔に六本の手、さらに右膝を立て両足裏をあわせて坐す、経典に説かれている通りの複雑なお姿をしている。このような複雑なお姿を、無理なく造形化している。六本の手の配置など、異様な感じはなく、むしろ自然な姿であらわされている。この像の中心となる技法構造は、一木造(いちぼくづくり)である。すなわち頭より像前半の大部分を一材で彫出し、背面に一材を矧ぐ。各手は、それぞれ肩や腋下に矧ぐ。賢瑞院像とはやや異なり、複雑なお姿にしては構造が単純化されている。しかしその作風には、洗練された巧みさがあり、かなりの技倆をもった仏師の作と考えられる。中央の仏師が、この地に住みついて、このような像を彫ったものかもしれない。一木造の技法構造には、地方的傾向がうかがえ、洗練された作風には中央的な要素がみられるのである。

(二)

 室町時代に入っても、遺例は多くはない。ただこの時代になると、この地でつくられた地方的な作風の像があらわれてくる。前の時代の遺例ほど、優れた作域を示す像ではないが、個性的な作風をもっており、よりこの土地に密着した、この土地の地域的な特色を具現した像といえるであろう。

 徳林寺十一面観音坐像は、頭上面や持物なども含んで、すべて一材で彫出されている。徹底した一木造の像といえる。面長な顔貌には厳しさもうかがえ、大きく、うねるように彫出される衣の線は、賢瑞院地蔵菩薩半跏像に通じる。南北朝時代の余風をとどめた像で、技法構造においても、常世観音堂如意輸観音像の一木造を、さらに一層押し進めたようなつくり方である。しかし前二像にくらべて、やや充実した造形に欠ける。これは造立された年代が、室町時代に入ることを示しているのではなかろうか。

 湯舟観音堂の聖観音菩薩坐像も、頭頂よ

十一面観音坐像(徳林寺)
十一面観音坐像(徳林寺)


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