塙町の文化財 -054/105page

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一、八幡宮本殿

湯岐八幡宮本殿側面
湯岐八幡宮本殿側面

湯岐八幡宮本殿平面図
湯岐八幡宮本殿平面図

所在 大字湯岐字湯岐
建立 文化五年(一八○八)
方一間(間口一・三メートル、奥行一・三一メートル)、入母屋造り、鉄板葺き (もと柿板葺き)、唐破風向拝付き。

 町の東南方を流れる湯川の谷合いに展開する湯岐温泉の集落東方の崖上に建ち、温泉鎮守八幡の通称がある社殿である。

 四方には刎高欄を付した切目縁を回らし、その左右には脇障子、正面を除く三方は円柱に板溝付きの横板壁を張り、向拝にも登り高欄を付けてその前方には厚い浜床を置く。軒は二重の扇垂木とし、台輸を回らした三手先の詰組でこれを支える。

 とくに目立つのは軒隅の斗漢字と腰組であろう。前者は三つ斗それぞれから肘木を送り出して詰める形の工夫された技法を採用し、後者も地長押から縁桁の間を三手先の派手な組物で詰めている。

 誉田別命を祭神とするこの神社の創立や由緒についてはあまり明らかではないが、現在の本殿の建立については保存中の棟札の記載によって文化五年(一八0八)であることが判明する。この棟札にはほかに、「上村、中村、車村、前田村」など付近の各旧村の大工棟梁名や「片員村、福田村、仁井田村(現・北茨城市)」などの大工名、「大津村」の大工後見人名などの記載も見え、工事に当って広く工人が集められた状況や後見人まで添えられた入念な工事であったことが察せられる。

 のち、明治三十八年(一九〇五)に修理されたほか、昭和三十五年には鉄板葺きに改められて(いずれも棟札あり)、高欄や脇障子もこの時交換されたらしい。現状は近年施したと思われる原色ペンキが全体を覆って、感じをひどく損ねている。


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