塙町の文化財 -065/105page

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字湯岐羽原谷地、通称上台といわれている。粘土層から住居跡、ピットの落込み等画然と切りこまれた遺構が出土したが、道路工事が完成間近ということで、発掘調査も行なわれず、甕・釣手土器が数個採取されただけだった。大型・ほぼ完形で出土した甕は、肩部から胴部全体に縄文が施文されており、釣手土器とともに縄文時代中期末ごろの遺跡と推測される。

羽原谷地遺跡
羽原谷地遺跡

上渋井遺跡

(上渋井字市ノ沢・熊ノ平)

 久慈川の東岸、羽黒山の山塊の北側谷部平坦地で、氾濫原耕地の南面に位置する。ここでは分銅形打製石斧、撥形打製石斧、磨製石斧とわずかな土器片が発見されている。打製石斧は石質もやわらかく重厚である。おそらくは土掘り用、農耕用に使われた可能性が強い。また磨製石斧は、蛇紋岩を研磨してつくられた厚い巾の蛤刃のものと、片刃の撥形のものがみられる。これらの石斧は縄文時代から弥生時代まで作られ使用されていたもので、今のところ当遺跡の時代を限定することは困難である。

 現在は畑になっている。

中根遺跡

(川上字中根)

 川上川沿岸の中平地区の対岸、標高二八○メートルのところにある。川上川の氾濫で削られた段丘上の、縄文時代後期から晩期頃の遺跡と思われる。土偶や石鏃、石斧などが出土しているが、特に土偶は、関東地方の山形土偶の影響を強く受けているようである。

大畑遺跡

(山形字大畑)

 山あいの平坦地にある遺跡で、標高三八○メートル、東西約一〇〇メートル、南北約五〇メートルの広さである。付近には豊富な湧水があり、生活に適していたと推測される。出土土器は底部、口縁部が主で縄文時代中期の遺跡といわれるが、偶然の出土のため遺構・遺物の色合などは明らかでない。

下稲沢遺跡

(台宿字下稲沢)

 米山山塊と四ツ沢山塊の両突端部の間を流れる稲沢川の沿岸の段丘上にある。南東に面している。耕作中偶然の発見であり、発掘調査も行なわれていないため、遺跡の性格、遺構などの究明がされていないが、出土した土器片等から、縄文中期から後期、晩期の遺跡ではないかといわれる。また久慈川支流に面する遺跡で、石器では石錘も出土していることから、縄文後期人と漁業関連を示しており、出土品そのものより当時の生活様式を伺わせる。


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