塙町の文化財 -080/105page
塙町の民家
金沢安正氏宅
植田字坂ノ下
八溝山の麓、久慈川沿いに残る庄屋をつとめた住居である。
軒を高く改造するとき、小屋組も和小屋にしたらしく、軒は化粧たる木、屋根は入母屋の瓦葺になっている。しかも「なかま」前面のえんに「げんかん」を付加するなど外観は相当に様相を変えている。
内部にも改造はおよんでいるが、ざしき部分は比較的よく原形の姿をとどめているのをはじめ、他の間仕切とうもほぼ推定でき、当時の上層住居の形態をある程度うかがうことができる遺構である。
主屋規模は約六七坪と普通であるのに対して、土間面積が少ないのはこの地方共通の外うまや形式をとっていたためと、他の作業施設を別棟に配置していたためのように判定される。
ざしき列となかま列の間に前室および通路の役割を果す「とおりま」が設置されており、室列が五列となるのも特徴であろう。また「うわいろり」おくの「りょうりべや」と呼称される室はどのような目的に使用されたか興味がもたれる。
えんにも欄間を設けたり、障子戸の結線も珍しいなど、意匠的に凝ったところが多い。なかでもとくに「しょいん」や「じょうだん」と「しもざしき」の間の欄間は見事な透かし彫で、上層家屋を象徴的に示している。
建築関係資料はまったく不明であるが、新しい要素が蓄しく加わっているため幕末に位置するものであろう。
福原京子氏宅
台宿字台宿
曽祖父(安政三年没)が火災に遭い、従前通りに再建したという。常陸太田街道沿いで昔は旅人宿「扇屋」を営んでいた。
広かった土間は改造されているが、一部中二階を持つ構造はそのまま残されている。外部の建具は、道路に面した側のみ取り替えた。
金沢利治氏宅
台宿字台宿
台宿村の名主の家で、中間玄関のケタの上に元治元年の制札が針で打ちつけられて