塙町の文化財 -081/105page
いるので、それ以前の建築であろうと推測される。
軒は「サガイ」ツバメガエシで、栗材のちょうなけずりは風雨にさらされている。
街道に面して四ツ脚門があったという。
永野信也氏宅
東河内字炭釜
当主や周囲の話をまとめると、約二百年前に建てられたものと推定される。
合掌屋根下の中央三間は、奥行三間のものを両側へ増築したセガイ等が土間の上に見られる。
吉成正大氏宅
植田字前ノ内
金沢氏宅と交替で名主をつとめたという上層の住居。
享保二年(一七一七)改築と印された普請帳(県史所載)が保存されている遺構であって、地域民家の比較上は便利である。
敷地は約九〇〇坪を有し、中規模な主屋の北側には天保八年(一八三七)建設の離座敷がつづき、その他、門や倉とうも配置されている。
現状では背面の改造が目立つだけで、間仕切とうは比較的よく当初の姿を残していると推定される。やはり原形でも室列は四室列で「なかま」前面に間口一・五間の式台が設置され、このなかま列を境に、接客空間であるざしき部と「かって」前面のそれぞれの開口形式にはかなりの相違があらわれるのもこの時期の上層住居の特徴であろう。
土間内にはうまやの形跡がみあたらず、当初は「だいどころ」側面にうまやを併置していたとみられる。