塙町の文化財 -099/105page

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蛇骨明神

 学校のあった一隅に、猟師殿の篇額のある山幸神社、ここ真名畑では明神さまで通っているお社がある。

 今は見ることができないが、杉の大木があったしるしに切株がいくつかあって、昔は、昼なお暗い鎮守の杜であり、それこそ真名畑村を守護する威容を示したことであろうと思われる。

 昔は、この社前にあった神木にかかわることで、その大きさは、周囲十米余、高さ百米余もあり、幹は空洞になっていて、どうしたことかこの中からは、常にある種のうなり声がきこえたという。

 或る夕方、この前を通った村の一人が、白衣を着た女らしい人が空洞の前に立っていてまわりに落ちている杉の枯葉を拾っては、ぽいぽいと空洞へ放り込んでいるのをみて、ふしぎなことをするものだと思って家に帰った。

 ところが、次の日の午後二時頃、雷鳴とどろく悪天候となり、ついにこの神木に雷が落ち、青い火を出して燃えあがり大火になった。村の人々が馳せ参じたが、近づくこともできない程で、左右上下大小の枝が燃え落ちる有様は、真赤な岩石の崩れ落ちるようであった。それでも、本殿が危険だと言うので、大ぜいでお移し申し火災から守った。

 神木はなおも燃え続け、翌日の八時頃燃えながら南側へ倒れた。

 南側には、八溝川をへだて真向いにそびえる岩山の石尊山があり、それへ倒れかかったので、丁度、橋をかけたようになったという。

 その後、村の人々が神木の根元をあらためると、胴まわり六十糎程もある蛇の骨と見られるものがあり、小骨などは無数にあった。また、その南東の方へは深い深い穴があり、北の方には頭の骨があるだろうと、岩穴のところまで掘って見たが、水が湧いてきて底がわからなかった。

 これらの骨を集めて、明神様の別堂であった真蔵寺という寺へ納めたが、この話をきいた近隣の人々が、参詣にくるわくるわ、大へんなにぎわいが続いたという。

 この落雷は、旧暦二月十五日ということで珍しい季節の出来ごとであり、思い合わせると、猟師大明神の化身が、大蛇を焼死せしめられたものであろうか。御神徳を物語ることは言うまでもない。

 なお大蛇の骨は後になって、蛇骨明神として当社の傍に祀られることになり、近年までそのほこらがあったが、今は見られない。

カネコロバシ

 古代金を掘るまじめな坑夫が、何日か家を留守にして稀にみる珍しい金の塊を見つけた。かかあに見せようと喜びいさんで家に急ぐ途中、癇癪持ちのかかあと出会った。得意げに金塊を見せたところ、「幾日もどこを歩いていたのか」「何がこんな物」と癇癪を爆発させ、崖下の八溝川めがけて金塊を投げつけてしまった。以来この地を金ころばしという。

 後世になって、その金塊が真名畑地内の八溝川で一番深い「ミノワ淵」にあるのではないかと、淵の一番狭いところから脇の岩に穴を掘り、川をせき止めて淵の水を払ってみること数回、ついに金塊は見つからなかった。

 金掘山師の残念がることしきり。


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