わたしたちの鮫川村-089/109page

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資料集


鮫川村100年のあゆみ
元号 西暦 できごと
明治5 1872 人口3119人,481戸
6 1873 西野小学校、西山小学校ができた。
    富田村、赤坂東野村、赤坂中野村、石井草村、赤坂西野村の事務所は塚本に、渡瀬村は中塚においた。
7 1874 棚倉に会所(郡役所)ができた。
    よい馬をそだてることがさかんになった。
9 1876 湯の田の湯が開かれた。
11 1878 白川郡が東白川郡となった。
12 1879 鬼越、赤坂、富田にあった郵便取あつかい所を一か所に集め、赤坂中野郵便局とよぶようになった。
    鮫川小、渡瀬小ができた。
16 1883 養蚕の教師をまねいた。このころから養蚕がさかんになった。
19 1886 郡医制度ができた。
21 1888 中野にちゅうざい所ができた。
22 1889 7か村を集めて、鮫川村ができた。
    第1回の村会議員の選挙が中野の長遠寺で行われた。
    中野に役場ができた。
23 1890 赤坂中野に村医室をつくった。
27 1894 鮫川消防組ができた。青年会ができた。
34 1901 赤坂中野に盆市や暮市が開かれた。
    ちゅうざい所が滑石にできた。
    きょうさくで米がみのらず、村の人はだいそうこまった。
    大ぼう風で家がたおれた。人口42判人。
    馬の数229頭。牛の数ゼロ,90cmも雪がつもった。
35 1902 鮫川小と渡瀬小の校舎ができた。
37 1904 日露戦争で17名戦死した。きょう作で村の人はこまった。

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