元号 |
西暦 |
できごと |
明治5 |
1872 |
人口3119人,481戸 |
6 |
1873 |
西野小学校、西山小学校ができた。 |
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富田村、赤坂東野村、赤坂中野村、石井草村、赤坂西野村の事務所は塚本に、渡瀬村は中塚においた。 |
7 |
1874 |
棚倉に会所(郡役所)ができた。 |
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よい馬をそだてることがさかんになった。 |
9 |
1876 |
湯の田の湯が開かれた。 |
11 |
1878 |
白川郡が東白川郡となった。 |
12 |
1879 |
鬼越、赤坂、富田にあった郵便取あつかい所を一か所に集め、赤坂中野郵便局とよぶようになった。 |
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鮫川小、渡瀬小ができた。 |
16 |
1883 |
養蚕の教師をまねいた。このころから養蚕がさかんになった。 |
19 |
1886 |
郡医制度ができた。 |
21 |
1888 |
中野にちゅうざい所ができた。 |
22 |
1889 |
7か村を集めて、鮫川村ができた。 |
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第1回の村会議員の選挙が中野の長遠寺で行われた。 |
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中野に役場ができた。 |
23 |
1890 |
赤坂中野に村医室をつくった。 |
27 |
1894 |
鮫川消防組ができた。青年会ができた。 |
34 |
1901 |
赤坂中野に盆市や暮市が開かれた。 |
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ちゅうざい所が滑石にできた。 |
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きょうさくで米がみのらず、村の人はだいそうこまった。 |
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大ぼう風で家がたおれた。人口42判人。 |
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馬の数229頭。牛の数ゼロ,90cmも雪がつもった。 |
35 |
1902 |
鮫川小と渡瀬小の校舎ができた。 |
37 |
1904 |
日露戦争で17名戦死した。きょう作で村の人はこまった。 |