わたしたちの鮫川村-090/109page

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元号 西暦 できごと
明治40 1907 各区ごとに養蚕組合ができた。
42 1909 小学校が6年制になった。
    村ですぎのたねをくばって、植林をしょうれいした。
43 1910 人口5296人,830戸。和紙を作る農家もあった。
44 1911 婦人会ができた。
45 1912 大しものため、くわが全滅した。
    たばこ、こんにゃくは増産した。
大正2 1913 牛の数3頭。
3 1914 県内でもめずらしい公会堂(450m2)が中野にできた。
6 1917 鮫川青年団ができた。
7 1918 生徒の数、西野小132人、西山小130人、渡瀬小149人、鮫川小(高等部)310人。
10 1921 村にはじめて電灯がついた。
13 1924 大しもでくわ畑がぜんめつした。
15 1926 石川と中野の間に5人乗りのバスが通るようになった。
昭和6 1931 農作物のねだんが下がったので、村の人はこまった。
7 1932 生活改善運動がおこなわれた。
9 1934 れい害で、米がとれないので、国から米をもらった。
10 1935 恩賜郷倉がつくられた。
    ガソリンポンプが入った。役場に電話がついた。
11 1936 れい害をすくなくするようにするため、しつ田はい水工事が、数ヘクタールおこなわれた。ひつじが村に入った。
12 1937 日中戦争がおこった。
    鮫川郵便局と名前がかわった。
16 1941 太平洋戦争。戦争がはげしくなった。校庭にまめをうえた。
    村から戦争にいってけがをした人、なくなった人200人
20 1945 戦争がおわった。


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