元号 |
西暦 |
できごと |
明治40 |
1907 |
各区ごとに養蚕組合ができた。 |
42 |
1909 |
小学校が6年制になった。 |
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村ですぎのたねをくばって、植林をしょうれいした。 |
43 |
1910 |
人口5296人,830戸。和紙を作る農家もあった。 |
44 |
1911 |
婦人会ができた。 |
45 |
1912 |
大しものため、くわが全滅した。 |
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たばこ、こんにゃくは増産した。 |
大正2 |
1913 |
牛の数3頭。 |
3 |
1914 |
県内でもめずらしい公会堂(450m2)が中野にできた。 |
6 |
1917 |
鮫川青年団ができた。 |
7 |
1918 |
生徒の数、西野小132人、西山小130人、渡瀬小149人、鮫川小(高等部)310人。 |
10 |
1921 |
村にはじめて電灯がついた。 |
13 |
1924 |
大しもでくわ畑がぜんめつした。 |
15 |
1926 |
石川と中野の間に5人乗りのバスが通るようになった。 |
昭和6 |
1931 |
農作物のねだんが下がったので、村の人はこまった。 |
7 |
1932 |
生活改善運動がおこなわれた。 |
9 |
1934 |
れい害で、米がとれないので、国から米をもらった。 |
10 |
1935 |
恩賜郷倉がつくられた。 |
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ガソリンポンプが入った。役場に電話がついた。 |
11 |
1936 |
れい害をすくなくするようにするため、しつ田はい水工事が、数ヘクタールおこなわれた。ひつじが村に入った。 |
12 |
1937 |
日中戦争がおこった。 |
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鮫川郵便局と名前がかわった。 |
16 |
1941 |
太平洋戦争。戦争がはげしくなった。校庭にまめをうえた。 |
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村から戦争にいってけがをした人、なくなった人200人 |
20 |
1945 |
戦争がおわった。 |