ふるさとのむかし話-007/42age

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ーイショ。」と、力をあわせてはこびました。そして、明け方近くに、宝木村とのさかいの近くの、戸倉村の水口という部落の高台にかつぎあげ、ひと晩で、もとのようにあたごさまをたててしまいました。
次の朝、あたごさまがないので、宝木村の人達が、あわてて、戸倉村へみんなでかけつけると、水口の高台に、おらが村のあたごさまが、「デーン」と、たっているのがみえました。宝木村の人達は、酒のうえとはいえ、大変申しわけがないことをしてしまったと、みんなであたごさまにあやまりました。
宝木村と戸倉村は、けんかをすることもなくなり、この二つの村は大変なかよくなり、水口にあたごさまをまつり、共同でさんぱいすることにしたそうです。そして、二十三日のさんぱいの日には、みんなこぞって、おまいりするようになったのだそうです。

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