体験学習の手引き -006/036page

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 「みちのくの花の会津は酒どころ」といわれる程に、会津は、わが国における酒の名産地であ ります。会津若松市内にも現在20の酒造場があって、年ごとに酒を醸造して、地元はもちろん、 県外にも大量に移出されており、多くの愛好者をもっております。

1.会津若松市で酒造りが盛んになったわけ

  1. 会津は米どころである。
     酒造りで最も大事なのは、酒の香り、味とこく、アルコール度のすべてが米の質からきて いるといわれています。酒造りに適した米は粒が大きく、中がやわらかいもので、このよう な品質の良い米が会津ではたくさんとれるのです。現在酒造りに使われている品種は、五百 万石、トヨニシキです。
  2. 酒造りに適した水が得られた。
     会津盆地には、大小さまざまな河川(かせん)によって造られた扇状地(せんじょうち)が数多くあります。酒造場が 散在する会津若松市街地も扇状地の上にあります。扇状地は、上流から沈んだ水流をたっぷ り合み、その水は、豊富な良質の伏流水となります。酒造場では、この伏流水の水脈を探し て井戸を掘り、水を汲み上げています。
     この水は、硬水に近い軟水の水(硬度5)で、酒造りに適しています。そのため、各酒造 場とも、仕込み用の水だけは井戸を掘り、水を汲み上げて使っています。
  3. 藩直営による酒造り
     もともと酒造りは行わわていましたが、今から約200年前、松平5代藩主容頌(かたのぶ)は、家老田 中玄宰(たなかはるなか)に命じて藩に酒造方(しゅぞうかた)役人をおき、当時酒造りの先進地である摂津(せっつ)より杜氏(とうじ)を招き、藩 直営の酒蔵を建設し、藩営による酒造りが始まりました。このすぐれた醸造技術は町方及び 地方の酒造家にも伝授され、全国でも有数の酒の名産地としての基礎が築かれたのです。
     杜氏とは、酒造技術者の最高の責任者で、酒造りの仕事 はすべて杜氏が行います。若松の杜氏は越後杜氏、南部(岩 手県)杜氏、地元杜氏などに分けられますが、杜氏という と南部社氏と思われる程、南部から多数の杜氏が来ていま す。
     この他に、寒冷な気侯などの条件も加わって、会津若松 市では酒造りが盛んになりました。

2.酒造場

 近代的に機械化される前には、どの酒造場も自宅内にあっ て、茶の間から、主人が居ながらにして見えるようになって いました。水汲み場、洗い場、ふかし場、あるいは仕込み場

    大正時代の酒造場の例
  • 茶の間より作業場が見られる
  • 酒しぼり場の一階は杜氏、蔵人(くらぴと)の宿部屋
  • 仕込蔵の二階は、酛(もと)つくり場
大正時代の酒造場の例


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