体験学習の手引き -030/036page
太神楽には、神楽七芸といって7つの演目があり「長獅子(ながじし)」「曲芸」「おかめ」「万才(まんざい)」「神 楽芝居(しばい)」「あほう舞」「鐘馗(しょうき)」がこれです。また、神楽に用いる楽器は、平大鼓(ひらたいこ)、締大鼓(しめたいこ)、七孔(こう) の篠笛(しのぶえ)、三味線(しゃみせん)、鉦(かね)などです。
長獅子が家の中で舞っている時に、軒先では、曲芸や万才などを演じています。また獅子頭(ししがしら)に 頭をかんでもらうと頭痛やその他の病にかからないといって、すすんで獅子頭に頭をかんでもら う習慣もあります。太神楽は長獅子で悪魔をはらい、最後の鐘馗(しょうき)の剣(つるぎ)の舞(まい)は火伏(ひぷ)せであり、この 2つの舞は欠(か)かすことができない舞とされています。
2. 会津彼岸獅子(あいづひがんじし)
春の彼岸になると街(まち)の一角から笛の音が流れてきます。彼岸獅子の笛の音です。この笛の調(しらべ)は 会津の人々にとって「雪にとざされた長い冬の生活から、もうすぐ解放される日の近い」ことを 知らせる快(こころよ)い調(しら)べなのです。「春を告げる使者」として、会津の人々の生活の中に生き続けてき た春の風物詩(ふうぶつし)なのです。彼岸獅子の獅子は、獅子頭(ししがしら)を一人でかぶる「一人立ち獅子」で、男獅子 2匹、女獅子1匹の3匹で舞う「風流(ふうりゅう)の獅子」で東日本に広く分布しています。この風流の獅子 は3匹で舞うことから一般に「三匹獅子」とよばれています。また、4匹、5匹、9匹、11匹な で3匠以上の多数匹で舞うところもあります。これは3匹獅子の変化した風流の獅子です。会津 の彼岸獅子も3匹科子であるが、春の彼岸に 舞われるところから「彼岸獅子」の名で親し まれています。彼岸獅子の大部分は会津若松 市周辺に分布しています。
会津の獅子舞がいつごろに入ってきたかに ついては、一般には会津藩租の保科正之(ほしなまさゆき)が寛 永20年(1674)に出羽国最上から会津に移ら れたとき、獅子舞を先頭に入城した説、また、 入城した際に長旅で疲れている藩士の士気(しき)を 鼓舞(こぶ)するために獅子を舞わしたという説が伝 えられています。しかし、本来は田畑を荒らす害虫を防ぐためと、悪疫を防ぐための祈願の舞であ るといわれています。
戊辰(ぼしん)戦争のおり、籠城(ろうじょう)した鶴ヶ城に日光口から引揚げてきた家老山川大蔵の一隊が小松獅子舞 を先頭に通りばやしを奏(かな)でながら、西軍の包囲の中央を堂々と突破したという信じられないような 話も残っています。舞い踊る3匹の獅子は、勇猛(ゆうもう)な面(つら)がまえで見るものを圧倒(あっとう)します。だが獅子の舞 うその姿がまるで遅かった会津の春を喜び嬉々(きき)としてたわむれているように見えるのは……会 津人独得の感じなのかもしれません。かって30数組を数えた彼岸獅子は、昭和40年前後にとだえ、 現在継承されているのは会津若松市内では天寧(てんねい)、神指(こうざし)、居合(いあわせ)の三ヵ所の彼岸獅子だけです。名 称も所在地の地名を付けて呼んでいます。毎年春の彼岸3月18日から24日の7日間、新仏の供養(くよう)