わたしたちの会津若松市〔第4学年〕-061/071page

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戸ノロぜきは,人々のくらしをどのように変えたのでしょうか。
戸ノロぜきができてからふえた家の数(「会津の堰」より)
(単位:けん)
村名 1623年より前 1809年
八田野 20 66
漆沢 0 21
稲荷原 0 15
生井 0 8
上長原 0 25
20 135

戸ノロぜきと人々のくらしの変化
イラスト 「戸ノロぜきができて,人々のくらしはどのように変わったのかなあ。」
と春男君が言いました。
イラスト 「水田がたくさんふえて,米もたくさん」とれたと思うわ。」
イラスト 「くらしやすくなって住む人もふえたのではないかなあ。」
そこで,先生は,左の表と下の地図を見せてくださいました。みんなは,調べてわかったことを話し合いました。
イラスト 「家が、ふえただけでなく,新しい村もできたんだね。」
イラスト 「戸ノロぜきの水は,会津若松市のほかの町や村の水田にも使われているのね。」
戸ノ口ぜきと水田の分布
(戸ノロ堰土地改良区全図により)
戸ノ口ぜきと水田の分布
田の広がり方
田の広がり方

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