体験学習の手引き-003/033page

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漆器

 全国的に有名な会津漆器は、伝統と新技術をふまえた産業として注目されています。会津漆器は木製漆器が中心で、ひとつの椀にも伝統の技を支える職人たちの心がこめられています。

1.会津漆器の歴史
 室町時代、会津の領主、芦名盛高のころ、漆の栽培や漆を塗った木の鉢や椀がすでに作られていたと伝えられています。しかし、これが会津漆器の起こりかどうか、はっきりしません。漆器が本格的に作られるようになったのは、実天正18年(1590)に蒲生氏郷が会津の領主になってからです。氏郷は、近江の日野椀の作りかたを学ばせるために、木地師や塗師を会津に移住させました。江戸時代、保科正之は、漆器産業をさかんにしましたが、その後、寛政年間(1789〜1800)に田中玄宰が京都から人を招き、蒔絵の技術や金ぱく、金粉の作りかたなどを学ばせて技術の改良をしました。一方、江戸に会津物産会所を設けたり、長崎で中国やオランダへ輸出して、積極的に販売しました。明治になってからさらに技術を改良し、現在は、食器、花器、文具、茶器、仏具など、多くの種類の製品が作られています。会津漆器の歴史は、長い間の工夫が積み重ねられてきた手づくりの歴史だといえます。
会津漆器の製品
会津漆器の製品

2.会津漆器の作りかた
 材料は、木地として、ブナ・トチ・クワ・ケヤキ・ホウ・キリなど会津産の水材が使用され、塗りは、天然漆(国産・中国産)のほか、ベンガラなどの顔料、金銀箔粉が使用されます。製造は、木地作り、下地付け、塗り、加飾の工程に分かれます。
(1)木地作り
 木地は、丸物と板物に分けられます。丸物は、ろくろによって作られた椀、茶たくのようなものです。板物は、重箱、すずり箱などの箱型のようなものです。丸物を作る人を木地師と言い、板物を作る惣輪飾と区別して呼んでいます。丸物は荒型(だいたいの形を作ること)で人工乾燥をし、水分を全くなくして、自然の状態で2、3週間おいてからろくろ作業に入ります。板物木地は、ホウの木のうすい板で箱型を作り、四角は、鋸で引き目を入れて曲げる挽き曲げや、お湯に入れて曲げる湯曲げなどで丸くします。

木地作り(丸物)
木地作り(丸物)


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