体験学習の手引き-006/033page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]



 「みちのくの花の会津は酒どころ」といわれる程に、会津は、わが国における酒の名産地であります。会津若松市内にも現在20の酒造場があって、年ごとに酒を醸造して、地元はもちろん、県外にも大量に移出されており、多くの愛好者をもっております。
1.会津若松市で酒造りが盛んになったわけ
(1)会津は米どころである。
 酒造りで最も大事なのは、酒の香り、味とこく、アルコール度のすべてが米の質からきているといわれています。酒造りに適した米は粒が大きく、中がやわらかいもので、このような品質の良い米が会津ではたくさんとれるのです。現在酒造りに使われている品種は、五百万石、トヨニシキです。
(2)酒造りに適した水が得られた。
 会津盆地には、大小さまざまな河川によって造られた扇状地が数多くあります。酒造場が散在する会津若松市街地も扇状地の上にあります。扇状地は、上流から沈んだ水流をたっぷり含み、その水は、豊富な良質の伏流氷となります。酒造場では、この伏流水の水脈を探して井戸を掘り、水を汲み上げています。
 この水は、硬水に近い軟水の水(硬度5)で、酒造りに適しています。そのため、各酒造場とも、仕込み用の水だけは井戸を掘り、水を汲み上げて使っています。
(3)藩直営による酒造り
 もともと酒造りは行われていましたが、今から約200年前、松平5代藩主容頌は、家老由中玄宰に命じて藩に酒造方役人をおき、当時酒造りの先進地である摂津より杜氏を招き、藩直営の酒蔵を建設し、藩営による酒造りが始まりました。このすぐれた醸造技術は町方及び地方の酒造家にも伝授され、全国でも有数の酒の名産地としての基礎が築かれたのです。
 杜氏とは、酒造技術者の最高の責任者で、酒造りの仕事はすべて杜氏が行います。若松の杜氏は越後杜氏、南部(岩手県)杜氏、地元杜氏などに分けられますが、杜氏というと南部杜氏と思われる程、南部から多数の杜氏が来ています。
 この他に、寒冷な気候などの条件も加わって、会津若松市では酒造りが盛んになりました。
2.酒造場
 近代的に機械化される前には、どの酒造場も自宅内にあって、茶の間から、主人が居ながらにして見えるようになっていました。水汲み湯、洗い場、ふかし場、あるいは仕込み湯
大正時代の酒造場の例
○茶の間より作業場が見られる
○酒しぼり場の一階は杜氏、蔵人(くらびと)の宿部屋
○仕込蔵の二階は、■(もと)つくり場
小川の水を利用して精米した。
大正時代の酒造場の例

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津若松市教育委員会に帰属します。
会津若松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。