体験学習の手引き-030/033page

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時代 西暦 年号 会津の主なできごと
旧石器時代 今から1万年前ごろ 打製石器を用いる人々が住んでいた。土器はまだ使用されなかった。
縄文時代 紀元前5000年ごろ 紀元前500年ごろ 狩りや漁などをして生活していた。磨製石器や土器が使用されはじめた。 土器の種類も多くなり美しい文様をつけたものがあらわれた。
弥生時代 紀元前100年ごろ 弥生式土器が使われ、稲作が行われる。
大和時代 古墳時代 4世紀末 会津を支配していた豪族が大塚山に大きな古墳を作る。
5〜6世紀   会津の各地にも古墳が作られる。
奈良時代 8世紀 陸奥国会津郡として記録されている。会津の防人の歌が万葉集にのせられたのも、このころである。
平安時代 807年 1100年 1181年 大同2年 養和元年 僧徳一が恵日寺・勝常寺などを開く。 このころ、恵日寺の勢力が強く、会津四郡を支配する。 恵日寺の僧共を率いた乗丹坊が長野県で木曾義仲と戦い敗れる。その後、会津は平泉藤原氏の支配下に入る。
鎌倉時代 1189年 1212年 文治5年 建暦2年 平泉藤原氏を滅ぼした源頼朝は、会津を支配下に置き、芦名氏・長沼氏・山内氏・河原田氏などの領地とする。 芦名氏とその一族(猪苗代・新宮・北田・加納の各氏)が会津各地を根拠に活躍する。
室町時代 南北朝 1384年 至徳元年 芦名直盛小高木(小田垣―現在の鶴ヶ城のあたり)に舘を築く。東黒川舘といった。
戦国時代 1589年 1590年 天正17年 天正18年 伊達政宗会津を攻め、芦名氏を滅ぼす。 伊達氏の会津支配(1589年〜1590年) 豊臣秀吉の奥州仕置。伊達政宗は会津を返し、蒲生氏郷がかわって会津を支配する。黒川を若松と改める。

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