時代 |
西暦 |
年号 |
会津の主なできごと |
安土桃山時代 |
1593年 |
文禄2年 |
蒲生氏郷、大きな天守閣を持つ城を築き「鶴ヶ城」と名付け城下町を作り産業の発展を図る。キリスト教伝わる。 |
1598年 |
慶長3年 |
蒲生にかわり、上杉景勝が会津の領主になる。 |
1600年 |
慶長5年 |
上杉景勝、家康と対立。神指城を築き始めるが中止させられる。家康は会津攻めを中止し関ヶ原の戦いに向かう。 |
1601年 |
慶長6年 |
上杉景勝は米沢に移され、蒲生秀行が会津領主となる。 |
江戸時代 |
1627年 |
寛永4年 |
加藤嘉朋、会津領主となる。 |
1639年 |
寛氷16年 |
加藤明成、鶴ヶ城改築に着手。西出丸・北出丸を増築。 |
1643年 |
尭永20年 |
保科正え(家光の弟)会津の藩主となる。産業を奨励し 社倉制を柞り、学問をすすめた。 |
1664年 |
寛文4年 |
文治主義の政治力行われる。儒学者横田三友(俊益)が会津で初めての学校、稽古堂を建てる。 |
1696年 |
元禄9年 |
将軍の命により、保科氏は姓を松平と改める。 |
1720年 |
享保5年 |
南山御蔵入(南会津)地方に百姓一揆が起きる。 |
1749年 |
寛延2年 |
猪苗代で起こった一揆が各地に波及、農民若松城下に強訴 |
1783年 |
天明3年 |
天明の大ききん。酒造を禁止し窮民に社倉米を与える。 |
1787年 |
天明7年 |
家老田中玄宰の案で藩政の改革をすすめる。 |
1801年 |
享和元年 |
会葎藩校日新館ができる。 |
1862年 |
文久2年 |
会津藩主松平容係、京都守護職になる。 |
1866年 |
慶応2年 |
京都蛤御門の戦いが起きる。 |
明治時代 |
1867年 |
慶応3年 |
大政奉還・王政復古 |
1868年 |
慶応4年 |
鳥羽・伏見の戦いが起きる。(戊辰の役が始まる) |
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明治元年 |
薩摩・長州などの西軍が会津を攻撃する。 白虎隊が出陣・活躍したが自刃する。 会津軍、鶴ヶ城に寵城する。 会津薄の降伏。会津に世直し一揆起きる。 |
1882年 |
明治15年 |
自由民権翼動さかん。福島事件起きる。 |
1888年 |
明治21年 |
磐梯山噴火。槍原・秋元・小野川の3湖と五色沼できる |
1889年 |
明治22年 |
若松に町制がしかれる。 |
1899年 |
明治32年 |
若松に市制がしかれる。 郡山・会津若松間に鉄道が通る。 |