すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -041/197page

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た心敬(しんぎょう)や宗祇(そうぎ)に、兼載(けんさい)は教えをうけたのでした。

 全国の各地に連歌(れんが)をひろめていった連歌師たちも、京都の連歌の集りで有名になるのが夢だったのです。その京都の連歌の中心は北野天満宮(きたのてんまんぐう)でした。京都の天神(てんじん)さまをまつった神社です。

 連歌の席では、多くの場合、床(とこ)の間(ま)に天神さまの軸(じく)をかけます。兼載が初めて連歌を学んだ諏訪(すわ)神社も、天神さまをあわせまつっていました。兼載の生まれたのは天神浜、天神さまの紋章はどこでも梅のかたち、兼載の小さい時の名は梅ー こうならべてくると兼載と天神さまのかかわりの深いことがわかります。やはり兼載は天神さまの申し子であったのかもしれません。

 24歳になった兼載は、さっそうとして京都北野天満宮の連歌の席にあらわれました。しかも、その席は、そのころの幕府(ばくふ)の実力者であった畠山政長(はたけやままさなが)開いた連歌の席でした。連歌師たちの間で、すでに兼載の名が認(みと)められていた

                                              

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