すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) -059/197page

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 現在、会津若松市の自在院(じざいいん)の入り口と、猪苗代湖の天神浜(てんじんはま)に、その句碑(くひ)が建てられていますが、お墓は、茨城県古河市(いばらごぎけんこがし)の西北(せいほく)にある満福寺(まんぷくじ)というところにあります。

 昔は兼載の好んだ桜(さくら)の樹(き)がうえられていて『兼載桜』(けんさいざくら)とよばれていたようですが、現在は、文化(ぷんか)八年(1811年)に三百年祭を記念して建てられた小さな墓石(はかいし)が、竹やぶの中にみられるだけです。墓石には『耕閑軒法橋兼載翁墳(こうかんけんほっきょうけんさいおうつか)』と中央にほってあり、その左に次のような句がさびしく竹やぶの音を聞いています。


                      

  花(はな)ちりて名(な)のみ残(のこ)るや墳桜(つかざくら)


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